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郭外 > 半兵衛町 > 水主丁

陸奥国 若松 郭外 半兵衛町 水主(かこ)
大日本地誌大系第30巻 181コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記22』より

烏橋通の北に並び、東西の通2条あり。

南を一番丁とす。
東は新丁通より西は黒川の岸まで。
長2町57間余・幅3間、家数22軒。

北を二番丁とす。
東は新丁通より末は組町に続く。
長1町44間・幅3間、家数9軒。

岡半兵衛が水主の者を置し処(ゆえ)この名あり。


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水主(かこ)

水手【かこ】
水主・加子などとも記し,水手・水主は〈すいしゅ〉とも読む。本来は船乗りの総称であったが,のちに船頭・梶取(かじとり)などの上級船員に対して,配下の下級船員の呼称となった。律令制下では海人・漁民などを夫役(ぶやく)として徴集,あるいは雇用して水手とした。戦国期には軍事上の必要から領主が支配下の漁民を水手に徴用,漁民はこの夫役(水手役)負担に対して漁場占有利用権などを付与された。江戸時代には地域によって形態は違うものの,諸藩は主要漁村を水手浦・御立浦(おたてうら)などに指定して,廻米輸送などに従事させる水手役負担者を確保する一方,浦方に対して占有漁業権を与えている。しかし,民間の回漕業が発達するにつれ,水手役は夫米・夫金に代わっていった。
最終更新:2026年02月08日 00:26
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