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郭外 > 半兵衛町

陸奥国 若松 郭外 半兵衛(はんひやうえ)
大日本地誌大系第30巻 181コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記22』より

外郭の西北、融通寺町の西に通す。
数条の士屋敷あり。

この地、蒲生家の臣岡半兵衛という者の装束屋敷ありし(ゆえ)この邊の総称となれり。
外に新丁・横丁・中河原町とて小黒川分の民居あり(半兵衛が伝、極楽寺の条下に載す)。

半兵衛町




外部リンク等


余談

岡半兵衛重政は蒲生家の家臣でした。
秀行が30歳の若さで亡くなった後蒲生家を継いだのは10歳の忠郷で母親の振姫が後見人となりました。
半兵衛は当時藩政を任されていたのですが、振姫とは仲が悪かったそうです。話は徳川家康(振姫は家康の娘)まで届いてしまい仲裁が入るほどに。それでも抗争は収まらず最後は半兵衛が駿府に呼ばれて死罪を命じられる事になりました。
強い女性には色々と欝憤が貯まっていたのではないでしょうか。
最終更新:2026年02月07日 00:25
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