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横通 > 融通寺町通

陸奥国 若松 郭内 融通寺町(ゆつうじまち)
大日本地誌大系第30巻 112コマ目
※会津城下のまちわり - 会津若松史 第2巻より

諏訪通の西に並て、南は米代二之丁の末より北は融通寺町口の郭門に至る。
長2町31間余・幅5間余。家数6軒。

融通寺町口

この通の北端にあり。融通寺町に出る郭門なり。
番所、東向。

野島原(のじまがはら)

この通の南の方にある芝原なり。
昔、家士野島某か居宅の側なりし(ゆえ)名く。今は士屋敷となりてその迹(わずか)に残れり。
またこの地に往昔獄屋ありしといい伝れど年代詳ならず。


参照・補足

南は米代二之丁(若松商業高校と謹教小学校の間の通り)から、
北は融通寺町口(三角屋の辺り)までの通り。

外部リンク等

最終更新:2026年03月03日 00:30
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