内郭の東、
本一之丁の南に東西の通2条・南北の通2条あり。
東西の通は北を一番丁とし南を二番丁とす。
南北の通、東は寶積寺通にて西は三日町通なり(2条共に北の本丁に分ち属せる
故本丁の下横通の条下に載す)。
総てこれを小田垣という。
昔、古小高木と称せし地にてこの邊村落ありしと見え、延壽寺熊野宮鐵鉢の銘に大會津郡小高木村とあり。至徳元年(1384年)葦名氏城築の時これを堕ちしにや(
舊事雑考文和3年(1384年)の記に或記を引て小高木館立始むという。今の小田垣の字にて天正の末氏郷就封の初に当てこの称に改りしなるへしとあり)。
※蒲生氏郷就封=天文18年(1549年)
東は
寶積寺通大町通より西は三日町通まで。
長1町52間・幅6間。
家数11軒。
東西2町・幅6間。
東は寶積寺通大町通より西は三日町通まで。
長1町52間・幅6間。
家数13軒。
的場
この丁の末小田垣口の西にあり。
足軽の弓術を学ぶ所なり(以下、凡的場というものこれに倣う)。
一番丁の末より寶積寺通を隔て東に通する行留りの小路なり。
長40間余。
家数2軒
最終更新:2020年02月29日 08:05