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小田垣

陸奥国 若松 郭内 小田垣(おだがき)
大日本地誌大系第30巻 115コマ目
※会津城下のまちわり - 会津若松史 第2巻より

内郭の東、本一之丁の南に東西の通二条・南北の通二条あり。
東西の通は北を一番丁とし南を二番丁とす。
南北の通、東は寶積寺通にて西は三日町通なり。
(二条共に北の本丁に分ち属せる(ゆえ)本丁の下横通の条下に載す)
総てこれを小田垣という。

昔、古小高木と称せし地にてこの辺村落ありしと見え、延壽寺熊野宮鐵鉢の銘に『大會津郡小高木村』とあり。
至徳元年(1384年)葦名氏城築の時これを堕ちしにや。
舊事雑考文和3年(1384年)の記に或記を引て小高木館立始むという。今の小田垣の字にて天正の末氏郷就封の初に当てこの称に改りしなるへしとあり)
※蒲生氏郷・就封=天文18年(1549年)

小田垣


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余談

小高木(おたかき)村があった場所。
最終更新:2026年03月04日 23:51
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