手明町

陸奥国 若松 郭外 手明(てあき)
大日本地誌大系第30巻 183コマ目

※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より

半兵衛町の北東にあり。
昔岡半兵衛が手明の者(徒手廻の類にや)を置し所ゆえ名くという。
小路数条あり。
赤井丁の西につづける小路長48間。この小路より北に折れていく道3条あり。東は長30間余、家数5軒。次は長53間、家数15軒。次は長32間、家数10軒。
また南に折れし小路1条あり、その末西に転じて半兵衛町新町通に通す。長1町13間、家数18軒。
またこの数丁の西に南北の通あり。南は新丁通に続き、北は西に折れ小黒川分の田圃(たんぼ)に通す。長1町38間・幅2間計、家数13軒(小黒川分の地雑れり)。

寺院

寶泉寺

西の横丁の北端にあり。
郭内五之丁光徳寺の末山臨済宗なり。福聚山と號す。
慶長17年(1612年)定光という僧開基す。
初め蒲生忠郷の家臣池田和泉というもの定光と壇越の好あり、領主に請い己が居宅を(こぼ)ちこの寺を創むという。
本尊観音客殿に安ず。
虚空蔵堂
境内にあり。虚空蔵の木像及び脇士不動毘沙門を安ず。
また35佛の木像あり。

常念寺

寶泉寺の西南にあり。
慶長年中(1596年~1615年)相模国藤沢清浄光寺の門葉但阿という僧本郡に来り、池田和泉と方外の知音たり。故に和泉が請に因てこの地を開き聚徳山常念寺と號す。即清浄光寺の末寺時宗なり。
三尊弥陀を本尊とし客殿に安ず。

極楽寺北(ごくらくじきた)

極楽寺の北に東西の小路2条あり。
南は長50間余、家数9軒。
北は長50間余、家数4軒。
小黒川分の地雑れり)
最終更新:2020年03月01日 04:02
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