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本丁 > 五之丁

陸奥国 若松 郭内 本丁 五之丁
大日本地誌大系第30巻 107コマ目
※会津城下のまちわり - 会津若松史 第2巻より

東は六日町通より、西は外郭の土居につづき本四之丁の西端に出つ。
長7町18間・幅東は8間余、中は12間、西は4間なり。
家数27軒。

中に小川あり西に流る。車川(くるまかわ)といふ。
黒川の支流にて南青木組院内村より分れ徒町を経てこの丁に入り、末は(うしろ)町に出つ。
この川の東の方、僅の滝あり。昔は鳴戸滝とて佳観(かかん)の瀑布なりしとそ。
應永の頃(1394年~1428年)までは今の城南の黒川(俗に湯川という。下同)この地を流るという。

倉屋敷

この丁の北頬にあり。
家人に給する倉米を蔵む。

製作所

倉屋敷の西に続く。
職人を置き甲冑・刀・槍を始め諸の武器を製せしむ。

馬場町口通

この丁の中程少し上より北に折れて馬場町口に出る道なり。
南北1町57間余・幅6間。家数7軒。

馬場町口

馬場町口通の北橋より馬場町に出る郭門なり。
番所、東向

興徳寺前通

馬場町口通の西に並ひ興徳寺門前に行く道なり。
長48間余。
家数3軒。

寺院

興徳寺

興徳寺前通の北端にあり。
瑞雲山興徳寺


参照・補足

  • 今の市役所前通り。なお、幕末時点では神明通りは存在していない。

外部リンク等


余談:車川の痕跡

最終更新:2026年02月24日 02:27
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