この地もと
上荒井村の境内なり。
寛永20年(1643年)肥後守正之弓足軽30人を置き
田圃を闢かしめ給田とす。その子孫相続てここに居り、
故に俗
御弓新田と称す。因て諸組に属せず。
府城の西に当り行程1里15町余。
家数41軒、東西1町20間・南北2町22間。
下野街道の両頬に住す。四方田圃なり。
東3町・北16間、共に
上米塚村の界に至る。その村は北に当り2町10間余。
西1町24間・南1町24軒、共に
上荒井村の界に至る。その村は西に当り6町50間余。
神社
稲荷神社
村より未申(南西)の方1町計にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。この村の持なり。
最終更新:2020年03月10日 21:07