この村は寛永元年(1624年)に佐藤源左衛門というもの牛沢組杉村より来て新墾せりという。今にその子孫務右衛門というものこの村の肝煎を務む。家に蒲生氏より渡せし稲田福田等が連署の板札を蔵む。
府城の西北に当り行程3里。
家数14軒、東西2町40間・南北3町52間。
四方田圃なり。
東1町42間・北は村際にて、共に
原村に界ふ。その村は寅(東北東)に当り3町50間余。
西2町2間・南1町32間、共に
牛沢組牛沢村の界に至る。その村は申(西南西)に当り7町10間余。
最終更新:2020年05月10日 18:37