河沼郡坂下組谷野新田村

陸奥国 河沼郡 坂下組 谷野新田(たにやしんでん)
大日本地誌大系第33巻 127コマ目

府城の西北に当り行程6里。
この地東西北は河原田村の山に接し、東西5町・南北8町。

寛文12年(1672年)谷野又右衛門というもの闢ける所なり。又右衛門は信州高遠より肥後守正之に従い来りしものにて、後この地に陸田を開き羽州最上より苧根を求て種植せり。延寶2年(1674年)村名を与て谷野新田という。
彼子孫一家相続て寛永中(1624年~1645年)までここに住せしが、高敞の地にありて用水の便少なければ今は堰沢村の東1町に移れり。


余談
旧谷野新田は現在の山都町三津合地区の南側と思われます。明治時代の地図に村名の記載がなかったので、すでに廃村となっていたのでしょう。
なお明治9(1876)年に作られた磐城岩代両国全図を見ると、長井村・三ツ合(現在の宮月・堰沢付近)村・大田賀を結ぶ三角形の中心に三ツ沢という山があり、千咲原はその西側全体にわたっていたようです。

最終更新:2020年05月10日 13:44