河沼郡野沢組本名村

陸奥国 大沼郡 野沢組 本名(ほんな)
大日本地誌大系第33巻 164コマ目

府城の西北に当り行程4里33町余。
家数32軒、東西5町30間・南北21間。
天屋村に対し越後街道の南に住す。
山麓にて南に田圃(たんぼ)あり。

東2町20間・南9町30間、共に片門村の界に至る。その村は東に当り11町30間余。
西18町18間片門村の端村軽沢の地に界ひ束松峠を限りとす。

山川

束松峠

村端より西に登ること18町10間余頂に至る。
道の左右にて天屋本名両村の界を分かつ(天屋村の条下を併せ見るべし)。

水利

堤5

一は村西19町にあり。周6町2間神料堤(しんりようつつみ)という。寛政7年(1795年)に築く。
一は村西17町余にあり。周1町40間八百苅堤(はちひやくかりつつみ)という。
一は村より申(西南西)の方18町にあり。周2町46間南沢堤(みなみさはつつみ)という。
一は村より戌(西北西)の方にあり。周1町30間泥布沢堤(とろふさはつつみ)という。
一は村より未(南南西)の方1町30間余にあり。周1町中田堤(ちゆうたつつみ)という。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 伊勢宮 地主神なり
   富士神
   八幡宮
   稲荷神
   熊野宮
   諏訪神
   若宮八幡
勧請 不明
村より巳(南南東)の方1町30間余丘の上にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。上野尻村平野左仲が司なり。

寺院

本高寺

村中にあり。
何の頃にか松本掃部助という者1宇を草建し攝取山観音寺と號す。
頽轉(たいてん)せしを寛永5年(1628年)秀山という僧再興し本高山と改め、浄土宗府下五之町高巖寺の末山となる。
本尊弥陀客殿に安ず。

古蹟

館跡

村より辰(東南東)の方1町30間にあり。
東西26間・南北28間。
何の頃にか松本掃部助某住すという。


最終更新:2020年05月21日 17:55