磐椅神社

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陸奥国 耶麻郡 猪苗代 城下 磐椅神社
大日本地誌大系第31巻 153コマ目

祭神 大山祇神(おおやまつみのかみ)埴山姫神(はにやまひめのかみ)
鎮座 不明
この神は(磐椅、或は石椅、岩椅に作る)延喜式に出る所の揶磨郡磐椅神社これなり。
鎮座の初を詳にせざれども、文徳実録齊衡三年(856年)正月己酉『陸奥国石椅神に従四位を加』とあれば古代の勧請なること分明なり。
古は神殿門廡宏麗にして廻廊・鐘楼及び数座の末社相連り100貫文の神税あり。因て数員の神官・社僧その祭を奉じ祭儀尤も厳重なりしとぞ。その後何の頃よりか零落して社頭荒蕪せしを、葦名平四郎時盛修補を加え尊崇他に異なりしかば、世々の地頭領主相続てこれを崇い寄付せし所の神宝数箇今に遺れり。
天正巳丑兵乱(1589年)の後当社も漸衰え、蒲生秀行の時に至り残らず社領を没収せられ神官等離散せしが、萬治2年(1659年)肥後守正之当社に参詣して没後末社たらんことを告て神事を行う。因て当社の末社として土津大明神というは正之の霊なり。
筑前守正経社領15石を寄付す。
4月14日より15日まで神輿渡御の式あり。
8月25日より9月3日まで祭禮あり。また流鏑馬の式あり。
別に末社1座あり。

鳥居

両柱の間9尺余。

大鹿桜

本社に行く道の左にあり。
高1丈6尺余。
枝葉2丈計を庇い極て老樹なり。
開花の時濃香馥郁陀樹に異なり花色鹿の毛彩に似たり故にこの名あり。

制札

道の右にあり。

御手洗川

即土居堰なり。
この社の御手洗となるによりかく唱ふ。

神橋

長2間半・幅2間。
左右に勾欄(こうらん)*1あり。
御手洗川に架す。

本社

3間に2間、南向き。
瑞籬本社の東西北に繚れり。周22間半。
神體(しんたい)天羽車に安ず。
祭神は大山祇神、埴山姫神なり。
また銅造の神像に軀を安ず。一は男體・(かん)(ほう)束帯(そくたい)・長1尺6寸・応神天皇と銘し、一は女體・垂髪(すべらかし)衣袴(きぬはかま)・長1尺5寸・神功皇后と銘し、各木床子あり。
銘に『永仁三年奉主藤原氏女』とあり(永仁3年:1295年)。

幣殿

3間に2間半。
入口に『磐椅大明神』という額あり。極て古物なり。誰人の書にかしれず。

拝殿

7間半に2間。
額は『正一位磐椅大明神』と題せり。正三位卜部兼雄の書なり。

神厨

本社の東にあり。
3間半に2間。

末社

稲荷神社

本社の西にあり。
鳥居あり。

寶物

木鉾    2本。共に長8尺。昔4本あり、その2は折てなし。社家相伝ふ、永仁の頃(1293年~1299年)猪苗代領主(姓名を伝えず)より寄付せりと。極て古物なり。
御正躰円鏡 1面。銅造なり。径9尺7分。その銘如左。
敬白
奉懸岩椅大明神本地御正體一面
右志趣者為心中所願成就円滿乃
至法界平等利益所奉表如件
永仁三年閏二月十八日藤原氏女敬白
王鼻仮面  2枚。古物なり。
翁仮面   1枚。
神輿    1基。
幣串    2本。

以上4品、永仁より已来(いらい)伝わる所という。

獅子頭   1面。和銅の頃(708年~715年)の物という。
神剣    1振。2尺7寸(約103㎝)上古より伝わるという。もと2振あり。昔神主その1を販て神の祟を得てその族滅ぶという。今存するもの甚だ古物なり。
狛犬    2軀。1軀に『享徳三戌五月九日奉納』という銘あり(享徳3年:1454年)。
懸燈籠   2基。銅なり。地銹て銘文見えず。載て舊事雑考にあれば左に出す。
永正三年丙寅四月十五日
檀那平朝臣盛為  願主笠間但馬
※永正3年:1506年
御膳突重  1具。その銘如左。
永禄十丁卯年八月二十日
大檀那成國   本願俊久
※永禄10年:1567年

神職 長尾周防

その遠祖をしらず。寛永の頃(1624年~1645年)永井彦右衛門景宗という者若松四之町に住し、正保元年(1645年)当社の神職となる。子なかりしかば、越後上杉氏の臣長男左馬允某が三男勘七という者を養い神職を続しむ。勘七後に本姓に復し長尾和泉景冨と称せり。今の周防平景忠は景冨が4世の孫なり。
この他に神楽役3人、神巫2人あり。




余談。
磐椅は「いわはし」と読むのですが、延喜式には「いはき(イハキノ)」と書いてあるんですよね。磐椅神社の公式HPに『人々から「いわきさま」と呼ばれ親しまれています』と書かれているのは、昔は「いわき」と呼ばれていた名残なんでしょうね。
最終更新:2020年08月15日 22:43
添付ファイル

*1 手すり