耶麻郡川東組楊枝村

陸奥国 耶麻郡 川東組 楊枝(やうし)
大日本地誌大系第31巻 167コマ目

蒲生氏会津を領せし時、壺下・中山両村の間山中人家なく往来の者難儀せしに因り、慶長2年(1597年)壺下村の東26町倉手山の麓にこの村を開き、鉄炮2埏をあづけ置き50石の年貢を免じ出陣上洛の毎度必ず百姓2人を足軽に仕立て連行しとぞ。
もと楊枝柳村と称す。後柳の字を省き今の名とす。

府城の東北に当り行程7里33町。
家数10軒、東西1町5間・南北48間、両山の間に住す。
村西に田圃(たんぼ)を開けり。

二本松街道駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
関脇村駅より32町18間ここに継ぎ、ここより1里6町二本松領安達郡中山村駅に継ぐ。

もと壺下村の境内に開きし村なれば、四方の山はみなその村と入逢なり。
村東3町に一里塚あり。




余談。
現在は村があった場所に磐越自動車道が通っており(鞍手山トンネルの西側。クリーム色の建物が建っているあたり)人が住んでいる気配はありません。今は石碑がぽつんと立っているだけです。
地図を見る限りトンネル西口の上に神明神社が鎮座しているようですが、人気もない場所ですしメンテナンスされているかどうか怪しい所です。
この旧楊枝村より(磐越自動車道のトンネルの北側を)東に登っていく道が旧中山峠(楊枝峠)で、鞍手山を越え(磐越自動車道を跨ぎ)南に向かった先にあるのが中山宿です。
最終更新:2025年06月01日 22:42
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