府城の東北に当り行程7里6町。
家数68軒、東西4町10間・南北3町、山中に住す。
東2里計二本松領安達郡中山村に界ふ。
西10町
酸川野村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り22町。
南6町
白木城村の山に界ふ。
北8町
酸川野村の山に界ふ。
端村
筧口
本村の申酉(西南西~西の間)の方15町にあり。
家数13軒、東西2町・南北2町10間。
福島街道に住す。
東は山に連なり西は酸川に傍ひ田圃多し。
この辺桑の大樹多し。寄生を産す。
木地小屋
達沢
本村の東1里28町にあり。
家数17軒、東西1町・南北1町。
深山の間に住す。
享保3年(1718年)檜原村雄子沢小屋より爰に移す。
山川
地蔵倉山
村より辰巳(南東)の方2里にあり。
川桁山の北面にて南は荒野村の境内なり。
山中に大岩あり。自然に長15丈計の地蔵の像を成せり。
この辺の諸山数ヶ村入逢なり。
また山中に山茶という木あり。葉桑に似て円し。古は茶に代て用うという。
天狗相撲取山
村の卯辰(東~東南東の間)の方2里計にあり。
高山にて登る者稀なり。
何者の所為にか、はるか山奥に伐木の音聞ゆることあり。村民天狗の所為なりという。
東は二本松領中山村と峯を界ふ。
石莚峠
達沢小屋の辰(東南東)の方1里計にあり。
二本松領石莚村にゆく路なり。
山間の路殊に嶮し。
その峯を界ふ。
野々森山
村東25町にあり。
南は酸川野村の山につづく。
衆山の中に特立す。
小田川
村より辰(東南東)の方丸森山の下より源を発し、申酉(西南西~西の間)の方に流れ村中を経て凡2里余酸川に注ぐ。
広5間。
酸川
酸川野村の境内より来り、未申(南西)の方に流るること凡16町計檜原川に注ぐ。
広10間余。
社壇清水
達沢小屋の未申(南西)の方2里、安達郡の境にあり。
5尺四方。
土産
糸
この村蚕を飼うこと尤も多し。中にも纊殊に勝れ、四方より多く来り求む。
酸川野村・白木城村もこの村に次いで蚕養すること少なからず。
関梁
日影橋
村より申酉(西南西~西の間)の方5町余にあり。
隣村の通路小田川に架す。
長5間、土橋なり。
水利
小田堰
村の未申(南西)の方にて小田川を引き田地の養水となり
白木城村の方に注ぐ。
堤2
一端村より子丑(北~北北東の間)の方8町にあり。周4町計。
一は村の亥(北北西)の方11町20間にあり。周3町計。
古蹟
館跡
村の戌亥(北西)の方9町、山の頂にあり。
周12町計。
康暦の頃(1379年~1381年)佐原次郎左衛門政泰という者居という。
音高城と號す。
真福寺迹
端村筧口の東に葛峯山と號し真言宗の寺ありしという。今その地を詳にせず。
大浪寄
村より辰巳(南東)の方3町にあり。
そのかみ磐梯崩れて今の赤埴山となり、酸川の水道を壅ぎ檜原の方まで湛えし時壮濤の激せし跡なりという。また小浪寄という処あり。
共に今は大ヤリ水・小ヤリ水という。
最終更新:2020年06月15日 19:12