耶麻郡川東組小田村

陸奥国 耶麻郡 川東組 小田(おた)
大日本地誌大系第32巻 11コマ目

府城の東北に当り行程7里6町。
家数68軒、東西4町10間・南北3町、山中に住す。

東2里計二本松領安達郡中山村に界ふ。
西10町酸川野村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り22町。
南6町白木城村の山に界ふ。
北8町酸川野村の山に界ふ。

端村

筧口(ひのくち)

本村の申酉(西南西~西の間)の方15町にあり。
家数13軒、東西2町・南北2町10間。
福島街道に住す。
東は山に連なり西は酸川に()田圃(たんぼ)多し。
この辺桑の大樹多し。寄生を産す。

木地小屋

達沢

本村の東1里28町にあり。
家数17軒、東西1町・南北1町。
深山の間に住す。
享保3年(1718年)檜原村雄子沢小屋より(ここ)に移す。

山川

地蔵倉山(ちさうくらやま)

村より辰巳(南東)の方2里にあり。
川桁山の北面にて南は荒野村の境内なり。
山中に大岩あり。自然に長15丈計の地蔵の像を成せり。
この辺の諸山数ヶ村入逢なり。
また山中に山茶という木あり。葉桑に似て円し。古は茶に代て用うという。

天狗相撲取山(てんくすまうとりやま)

村の卯辰(東~東南東の間)の方2里計にあり。
高山にて登る者稀なり。
何者の所為にか、はるか山奥に伐木の音聞ゆることあり。村民天狗の所為なりという。
東は二本松領中山村と峯を界ふ。

石莚峠(いしむしろとうげ)

達沢小屋の辰(東南東)の方1里計にあり。
二本松領石莚村にゆく路なり。
山間の路殊に嶮し。
その峯を界ふ。

野々森山(ののもりやま)

村東25町にあり。
南は酸川野村の山につづく。
衆山の中に特立す。

小田川

村より辰(東南東)の方丸森山の下より源を発し、申酉(西南西~西の間)の方に流れ村中を経て凡2里余酸川に注ぐ。
広5間。

酸川

酸川野村の境内より来り、未申(南西)の方に流るること凡16町計檜原川に注ぐ。
広10間余。

社壇清水(しやたんしみず)

達沢小屋の未申(南西)の方2里、安達郡の境にあり。
5尺四方。

土産

この村蚕を飼うこと尤も多し。中にも纊殊に勝れ、四方より多く来り求む。
酸川野村・白木城村もこの村に次いで蚕養すること少なからず。

関梁

日影橋

村より申酉(西南西~西の間)の方5町余にあり。
隣村の通路小田川に架す。
長5間、土橋なり。

水利

小田堰

村の未申(南西)の方にて小田川を引き田地の養水となり白木城村の方に注ぐ。

堤2

一端村より子丑(北~北北東の間)の方8町にあり。周4町計。
一は村の亥(北北西)の方11町20間にあり。周3町計。

古蹟

館跡

村の戌亥(北西)の方9町、山の頂にあり。
周12町計。
康暦の頃(1379年~1381年)佐原次郎左衛門政泰という者居という。
音高城(おとたかしろ)と號す。

真福寺迹

端村筧口の東に葛峯山と號し真言宗の寺ありしという。今その地を詳にせず。

大浪寄

村より辰巳(南東)の方3町にあり。
そのかみ磐梯崩れて今の赤埴山となり、酸川の水道を(ふさ)ぎ檜原の方まで湛えし時壮濤の激せし跡なりという。また小浪寄という処あり。
共に今は大ヤリ水・小ヤリ水という。


最終更新:2020年06月15日 19:12