【草案】空手道(武道)

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登録日:2025/07/18 Fri 16:46:42(
更新日:2025/07/18 Fri 23:04:46NEW!
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空手道もしくは空手日本の武道の一つ。





【概要】

琉球王国時代の沖縄発祥の打撃格闘技で、明治頃までは「唐手(からて)」と呼ばれ、大正時代本土へと伝えられたとされる。

現在広く普及している空手だが講道館に統一されている柔道とは異なり無数の流派が乱立し、流派によって教える型や鍛練法、試合ルールも全く異なる。

以下の4種に大別できる(沖縄空手は伝統派空手に含まれる)。
  • 試合方式の違いから寸止めルールを採用する伝統派空手
  • 素手での直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手
  • 防具を使う直接打撃採用する防具付き空手
  • 沖縄の空手

2024年時点で世界空手連盟(WKF)には200ヶ国・地域が加盟し、世界の愛好者・競技人口は約1億人を超えるとされる。


【歴史】

◆起源、唐手の始まり

起源には諸説があるが上記の通り琉球王国時代の沖縄発祥とされ、沖縄固有の拳法「(ティー)」の技術に様々な中国拳法流派や日本の剣術*1の影響も受けて発展したとされる。

なお当時は琉球王国の士族階級の武士(サムレー)の嗜みとされ、一般には広まっていなかった。

◆本土への広がり

やがて明治になると沖縄の武術家たちが普及のために本土へ訪れて体系化・修正を加え、大正期に船越義珍氏が柔道創始者の嘉納治五郎氏に招かれ、東京の講道館で初めて演武と解説を行ったことをきっかけに船越氏は東京の大学で空手を指導していった。

その後、1929年(昭和4年)に船越氏が師範を務めていた慶應義塾大学唐手研究会が般若心経の「空」の概念から唐手を空手に改めると発表したのをきっかけに、本土では空手表記が急速に広まり、他の武道と同じように「道」の字をつけ、それまでの「唐手術」から「空手道」に改められた*2
昭和8年(1933年)には当時の武道の振興・教育機関でもある「大日本武徳会」が空手を日本の武術として正式に承認し、柔道や剣道、弓道などと並んで日本武術の一角に数えられるようになった
またそれと同時に競技化も進むと日本中で競技人口は増加し、戦前の海外移民や第二次世界大戦後の米軍関係者を通じて世界各地に広まった。

◆戦後

終戦直後はに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって文部省から出された「柔道、剣道等の武道を禁止する通達」のため、空手道の活動は一時停滞した。
しかし、この通達には「空手道」の文字が含まれていなかったため、「これ空手は禁止されてないよね?」という文部省解釈を引き出すことで、他武道よりも早期に活動を再開することができた

空手の競技化は戦前から試みられていたが、当時は試合化そのものを否定する考えもあって組織的な競技化は実現していなかったが、1954年(昭和29年)に空手道場の一つ「錬武舘」が「第1回全国空手道選手権大会」を防具付きルールで実施した*3

しかし当時の防具はまだ安全性が不十分だったため競技として普及するにはまだリスクの大きいものであったため、拓殖大学空手道部などが中心になって創案した「寸止めルール」が次第に主流派を占めることとなった。
このルールは実際に技を当てず当たる寸前に技を止めるため、年齢・性別を越えて容易に取り組むことができるとして多くの流派で取り入れられることとなり、1957年(昭和32年)には全日本学生空手道連盟主催による寸止め空手ルールによる「第1回全日本学生空手道選手権大会」、日本空手協会主催により「全国空手道選手権大会」が開催され、1962年(昭和37年)には後楽園ホールで「第一回空手競技会」としてグローブ空手の大会も開催された。

◆統括組織の誕生と流派の乱立

1964年(昭和39年)には四大流派をそれぞれ統括する日本空手協会と松涛館(松濤館流)剛柔会(剛柔流)糸東会(糸東流)和道会(和道流)連合会(その他諸流派)錬武会(防具付き空手諸流派)の計6つの団体を中心に、「日本の空手道に統一的な秩序をもたらす」ことを目的として空手の全国組織として全日本空手道連盟(全空連)が結成され、1969年(昭和44年)には全空連主催による伝統派(寸止め)ルールの「第1回全日本空手道選手権大会」が日本武道館で開催された。

そんな折、かねてより伝統派空手に疑問を抱き、独自の理論で直接打撃制の空手試合を模索していた大山倍達氏は1964年に直接打撃制の団体「極真会館」を設立し、「第1回全日本空手道選手権大会」と同年に防具を一切着用しない素手、素足の直接打撃制による「第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」を開催し、それまで寸止めや防具による打撃主体だった空手界に一大旋風を巻き起こした。

しかし空手に限らずどんな分野でも組織化や参加人口の増加で発生するのが考え方や教えの解釈の違いである。
多くの流派で分裂・分派・独立が相次ぎ、大山氏の極真会館に代表されるようなフルコンタクト空手を採用する団体も現れた。
大山氏が存命中は一枚岩と言われ一大勢力を築いた極真会館も大山氏の死後、極真を名乗る複数の団体に分裂し、独自の流派を立ち上げる者も多数出現することになる。


【段位・帯】

空手道場等に入門した者はまず白帯からスタートとなり、段位を上げるにつれて帯色が変わり、有段者となると黒帯となる。
黒帯と白帯の中間(1〜3級)には多くの流派で茶帯を設けられており、茶帯の下に色帯が導入されている。

現在一般的に普及している段位・級位や師範認定は各流派・団体が独自に行っており、実は統一基準は存在しない。
そのため同じ段位・級位でも団体によって技量に差があるケースもある。

以下段位ごとの帯色一例
段級位 帯の色 称号
九段、十段 範士
八段 範士(達士)
七段 教士(達士)
六段 錬士
四段、五段 錬士
初段〜三段
一級
二級
三級
四級〜十級 オレンジ
入門者

◆昇級・昇段

昇級や昇段審査の内容については流派や所属している空手道場等によりかなり内容が異なるが、「基本」「移動」「型」「組手」は共通していることが多い。

以下参考までに全日本空手道連盟(全空連)の公認級位審査要綱
級位 組手 筆記試験
5級、4級 基本型から1つ選択 約束された組手における攻撃(基本又は自由な構えによる)
・上段順突き(又は上段逆突き)
・中段順突き(又は中段逆突き)
・前蹴り
これらの攻撃に対する防御、極め技
無し
3級〜1級 基本型又は第1指定型から1つ選択 自由組手1回(安全具使用)
初段 指定型1つ 自由組手1試合
二段〜五段 指定型と得意型を各1つ 自由組手2試合
六段 指定型と得意型を各1つ 有り
七段 型2つ
八段 有り(小論文)


【型】

一人で演武する空手の練習形式で、各種の技を決まった順序で演武する。
修業者は型の練習を通じて、空手の基本的な技や姿勢を身につけるだけでなく、組手などへの実践応用に必要な空手独特の身体動作を身につけることができるとされる。

型の数は全数十種にもなり、失伝した型もあれば、明治以降新たに創作された型もある。
各系統・流派によって習う型の種類には相違があり、例え同じ型でも流派や地域によっても相違が存在する。

近年では型の試合も実施され、演武自体が一つの競技とされるに至っている。
これにより型の完成度が高まると期待される一方で、勝敗を重視するあまり難易度の高い型を選んだり同じ型でもより見栄えのするように演武するなど問題も指摘されている。


【組手】

二人一組で行う練習形式の一つ。
決まった手順で技を掛け合う「約束組手」、自由に技を掛け合う「自由組手」、勝敗を目的にした「組手試合」に分けられる。

戦後、試合ルールが統一化されなかったために防具付き空手、寸止め空手、フルコンタクト空手の流派が乱立したことで組手も各流派が独自のルールを制定して実施した結果、組手のスタイルや技術なども流派によって異なるようになった。


【技】

◆手技

  • 正拳
相手の顔面や腹部、胸部への攻撃などで多く使われる技。
恐らく空手で最もメジャーな技。

  • 逆突き
基本技の一つで、踏み出した脚とは逆の手で突く技。

  • 刻突き
構えている状態から前足で踏み込みながら前拳で相手の上段を突く突き技。

  • 裏拳
拳の甲側で相手の顔面や脇腹、胸部を攻撃する技

  • 手刀
親指以外の4本の指をそろえて伸ばし、顔面や頭部への打ち技や当て技に使われる技。
受けや払いなどの防御にも広く使われる。

  • 貫手
指をまっすぐ伸ばして相手を突く技。
通常の突きよりも力を一点に集中させることが出来るため、みぞおち、脇腹、喉、目などの急所を攻撃する時に使用される。

  • 掌底
顎を攻撃したり受けにも使われる技。
ちなみに掌底は掌ではなく母指球と小指球の部位を指す。

◆足技

  • 回し蹴り
相手の上段や中段を弧を描くように横から蹴る蹴り技。

空手のみならずキックボクシングやムエタイ、テコンドーなど多くの格闘技で使われている技で、空手の回し蹴りは上半身がほとんど動かないため、モーションから動きを読まれにくく、蹴った後に足を引く「引き足」を行うことで連続技として使うこともできる。

  • 前蹴り
相手の前方に向かって行われる蹴り技。
蹴り技の基本とされるが、攻撃が直線的で足が伸び切った瞬間しか技が決まらないため、試合で使うことはあまり見られない。

  • 飛び蹴り
一旦跳躍してから蹴り技を放つ技。


【伝統派空手】

伝統的な技術に基づいて稽古や試合を行う空手道の流派や団体。
技の型を重視するところが非常に大きく、試合は型の演武、組手は基本的に寸止めまでだが、中には防具をつけて行う団体も存在する。


◆四大流派

・松濤館流

近代空手の普及に大きな功績を残した船越義珍氏を開祖とする流派。
1948年(昭和23年)に船越の門弟達が創設した日本空手協会を始め、現在は多くの会派に分かれており、空手流派の中でも最大勢力となっている。

船越氏の「型に忠実であれ、空手に試合はない」という遺訓を遵守し、「型」稽古を重視するのが特徴とされる。

・糸東流

摩文仁賢和(まぶにけんわ)氏を開祖とする流派。

沖縄の首里手、那覇手の流れを汲んでいる*4関係で四大流派の中で最も型の型の種類が豊富。
また基本鍛錬として巻藁を使用した突き・蹴りの鍛錬をはじめ砂利の上での正拳腕立て伏せなどより実践的な肉体鍛錬に重きを置いているとされる。

また型だけでなく投げ技や関節技をも含まれているのが最大の特徴*5で、「守・破・離」*6という言葉に代表される様に、型という基本を守りながら応用し、組手と結び付けていくことによって奥義までをも修めることが出来るように体系づけられている。

・和道流

大塚博紀氏を創始者とする流派。
大塚氏は柔術を学んだ上で、松濤館流の船越氏や糸東流の摩文仁氏より空手、更には古流剣術の体捌きを加えて和道流空手を創始した。

大塚氏は空手の他に「和道流柔術拳法」も創始しているため、和道流空手の中には投げ技や足技も多く存在する。

・剛柔流

宮城長順氏を開祖とする流派。本土に広まる四大流派と同時に沖縄空手の三大流派の一つでもある。
宮城氏は沖縄で東恩納寛量(ひがおんな かんりょう)氏から学んだ那覇手の技術に自身が中国に渡って学んだ中国武術を加えて、剛柔流の技術体系を作り上げた。

中国南部の民族の舟を漕ぐ姿勢を取り入れた足運びが特徴で、「三戦(サンチン)」が有名。

またフルコンタクト空手諸派やキックボクシングの源流となっており、実戦性の高い武道であるとされる。

◆沖縄の空手

沖縄空手は伝統的な「型」稽古や部位鍛錬のような鍛錬法を重要視している。
沖縄空手の「型」は攻防一体となった無駄のない技が構築され、同じ「型」を繰り返し反復鍛錬することで徹底した自己鍛錬を行っている。

その一方で元々沖縄から本土に広まった流派が主導する全空連が指定形から沖縄の形を排除したことで本土の会派とは組織形態が異なっており、多くの沖縄空手会派、流派は単独組織を維持している*7

沖縄空手の流派には三大流派として剛柔流、上地流、小林流があり、他にも多数の流派が存在する。

(ティー)

沖縄空手は発展した地域によって「首里手」「泊手」「那覇手」、中国福建省にルーツを持つ「上地流」に分かれている。

  • 那覇手
商業の中心地かつ海外への玄関口でもあった那覇で発展した流派。
糸東流、剛柔流のルーツでもある。

  • 泊手
貿易港だった泊(現在の那覇市)で発展した流派。
「泊武士は片足でも怖い。」とも言われるように片脚立ちに代表される不安定な立ち方からの入り身技が特徴。

  • 首里手
当時琉球王国王府の存在した首里で発展した流派。

・上地流

中国拳法をベースとした流派で、沖縄空手の中では手の流れではなく、本来の意味での唐手の流れを汲んでいる。
三戦(サンチン)」の型を最重要視しており、これにより構え・体捌き・心技体の基礎となる呼吸法を身に付けている。

攻撃方法に指先・足先を使った技が多いことも特徴だか、最大の特徴として、肩や腹など全身を徹底的に叩きまくり、打撃に耐えうる肉体を作っていく*8ため、ただでさえ異色な沖縄空手の中でも更に異色と言われる。

・小林流

首里手の流れを汲む流派。
自然体の構えと呼吸法が特徴で、自然な姿勢を保つことや当て身の破壊力を養成するための稽古が非常に重視されている。
実は日本国内よりも海外支部の方が多かったりする。


【フルコンタクト空手】

組手で実際に相手に技を当てる「直接打撃制」を採用した空手の総称。
伝統空手と対比して、「実践空手」と呼ばれることもある。

空手が本土に伝来した当時は型稽古がメインで組手や試合は存在しておらず、戦後になって防具付き空手やグローブ空手の試みがされるも、当時の空手家達からは受け入れられることはなかった。

やがて1964年に大山倍達氏が直接打撃制の団体「極真会館」を設立して「第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」を開催し、更に1971年に大山氏を主人公とした『空手バカ一代』が連載されると爆発的なブームを巻き起こし、極真会館がフルコンタクト空手の体系化に成功したことで社会的認知を獲得した。

ちなみに伝統派空手と異なり長らく統括組織は存在しなかったが、2013年3月に新極真会、極真連合会、芦原会館、JKJOフルコンタクト委員会所属道場を中心に219流派団体が集まり「全日本フルコンタクト空手道連盟(JFKO)」が発足し、翌年には第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会を開催している。


◆極真会館

大山氏が設立したフルコンタクト空手団体。
当初は町道場のような小規模なものだったが、『空手バカ一代』の大ヒットに加え、下記の要素の相乗効果により爆発的に勢力を拡大した。

  • 他格闘技や他団体と交流、試合、技術の吸収
大山氏は自らがボクシングや柔道、合気道を学んでいたことから1964年に団体名が「大山道場」から「極真会館」へ変更した際にはタイに遠征し、門下生がムエタイルールでムエタイとの試合を行った。

  • 年1回のオープントーナメント全日本空手道選手権大会や4年に1回のオープントーナメント全世界空手道選手権大会開催
現在でこそ様々な流派がフルコンタクト空手の大会を開催しているが、1960年代はまだ直接打撃に危機感を抱かれることが多く、大会開催を計画していた極真会館は試合会場をなかなか確保できずにいた。
そして東京体育館との3年もの交渉を経て、ようやく1969年に第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会開催に漕ぎ着けた。
開催された全日本選手権は「空手界の各流派はもちろんのこと、武道全般・拳法・ボクシング・キックボクシング等、誰でも参加できる」をキャッチフレーズに参加者募集を行ったところ、参加申し込みをした選手の半数が他流派で、なかには柔道、ボクシング、ムエタイなど他格闘技からもエントリー者が現れたことで異種格闘技戦の様相を呈していた。
興行的にも7000人の観衆を集めたことが翌年以降の継続に繋がり、1975年には第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会を開催し、現在でも毎年1回の全日本選手権と4年に1回の全世界選手権が開催されている。

  • 弟子を世界各地に派遣しての支部の設置と指導
大山氏は国賓への指導や演武を披露することで極真空手の国際的な普及に務めてきた。
そして1960年代半ばから弟子を国内のみならずアメリカやオーストラリア、ブラジルなど世界各地へ派遣して支部を設立し門下生を育成した*9
しかし1975年前後から弟子の破門や独立が相次いで発生し、現地の門下生も一緒に離れることとなったため一時的に縮小したりしたものの組織の拡大の勢いは落ちず、1990年代には各都道府県へ支部の設置が完了し、最盛期は各都道府県に支部、世界123ヶ国に1000以上の公認支部道場が設置され、会員は1200万人規模となった。

  • メディア戦略を通してのファンや門下生の増加
大山氏は自らも精力的に執筆活動を行なっていたが、1966年には極真会館の機関誌として、月刊『近代カラテ』、1978年からは新たに『月刊パワー空手』を機関誌として発行・創刊した。
また弟子の一部が映画出演をした他、1972年に通信教育としてマス大山カラテスクールを設立し、道場に行かずとも自宅でも極真空手を学べるとして大々的な宣伝を行って多数の受講生を獲得し、翌年には渋谷に通信生向けの道場を構えた。

・百人組手

1人の空手家が100人の空手家と連続して組手を行う極真カラテの荒行の一つ。
なお当初は荒行としてではなく、帰国する外国人門下生や海外に長期派遣する門下生に対する送別の意味を込めて行われていた。

・分裂騒動

圧倒的なカリスマで成り立っていた巨大団体には付き物なのが後継者問題である。

1994年の大山氏の死去後、遺言に従い松井章圭氏が後継者指名されるが、その遺言の是非をめぐって遺族や幹部、支部長クラスの高弟達との間で四分五裂の主導権争いが勃発。
相次ぐ分派や独立は国内どころか海外にも波及し、世界各地で支部の取り合いや選手の引き抜きに発展した。

松井氏を中心とする松井派と大山氏の遺族を中心とする大山派はそれぞれの機関誌上で数年間に渡り双方の正当性を主張しあっていたが、1997年に最高裁で遺言書の有効性を否定する判決が確定した。
その後大山派は支部長協議会派遺族派に分裂したが、後に協議会派は多数の離脱者を出し、2001年にその一部が極真連合会を発足させ、残った協議会派も松井派との商標権争いに敗れたことで新極真会へと名称を変更し、遺族派も松島派手塚グループ極真会館宗家に分裂している。
一方の松井派は株式会社化するもこちらも分裂・独立が相次ぎ、極真館以外にも極真を名乗らずに自派を発足している者達も多く現れている。

「極真」の名前も奪い合いとなり訴訟・係争が相次ぎ、現在では「極真」を名乗る団体だけでも15を超える団体が存在している

◆防具付き空手

文字通り防具を着用して直接打撃で行う空手。
フルコンタクト空手に分類されるが、そもそも伝統派空手の一部が長年掛けてルールと防具を改良し完成させたものであるため、伝統派空手にも分類される。

大正期に空手が本土に広まると若者や学生、一部の空手家を中心に型稽古中心の沖縄空手ではなく組手や試合の試みが行われるようになったのが始まりとされる。
その為寸止めルールの空手やフルコンタクト空手よりも歴史は長いが、制度として定着するまでには至らず、戦後になって防具付き空手を行う団体も現れ始めたが、当時の防具は安全性が十分に確保されていないもので危険度が高く、競技として普及するにはまだまだリスクの大きいものであったため、寸止めルールの空手が主流派となっていった。

その後も複数の団体が大会を開くなど活動自体は進んでおり、競技人口も増えて来ていたが、防具付き空手でも他の伝統派空手やフルコンタクト空手団体と同じく流派や統括組織の分裂・独立が見られる。


【空手を使うキャラ】

キャラ名等 登場作品等 備考
毛利蘭 名探偵コナン
京極真
愚地独歩 バキシリーズ フルコンタクト空手
愚地克巳
加藤清澄
末堂厚
鎬昂昇
カミーユ・ビダン 機動戦士Zガンダム
リュウ ストリートファイターシリーズ
ケン・マスターズ
まこと
リディア・ソビエスカ 『鉄拳』7、8 伝統派空手
桐島カンナ サクラ大戦シリーズ 沖縄空手
黒木玄斎 ケンガンアシュラケンガンオメガ 沖縄空手
若槻武士 フルコンタクト空手
成島光我 ケンガンオメガ
成島丈二他「六真会館」所属者
魁比楽 伝統派空手
清洲リュウジ 新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION 伝統派空手
清洲タツミ
安城シマカゼ
安城ナガラ フルコンタクト空手
中野有香 アイドルマスターシンデレラガールズ







追記・修正は空手を始めてからお願いします。



最終更新:2025年07月18日 23:04

*1 特に薩摩示現流。

*2 沖縄でも1936年(昭和11年)に那覇で琉球新報主催の「空手大家の座談会」が開催され、唐手から空手へ改称することが決議された。

*3 この大会は全日本空手道連盟錬武会主催の全国防具付空手道選手権大会という名称で、空手道界最古の全国大会として現在も開催されている

*4 摩文仁氏は首里手、那覇手、柔術など数多くの武術を学んだとされる。

*5 糸東流以外にも投げ技や関節技を使う流派は存在する。

*6 基本を忠実に・それを応用し・そこから独立する。

*7 沖縄県空手道連盟のように全空連に加盟している組織もある。

*8 実際の試合でも、防御側が払い受けをしただけで攻撃側が拳足を負傷し、退場する事態が起こったりもしている。

*9 帰国した者を除き、殆どを支部長として現地に永住させた。