王国近衛の備忘録Ⅰ

「お疲れ様です、“ツァーカブ”」
 第七席に与えられた専用のラボで、ディスプレイに血走った目を向けていた女は、己を示す名を呼ばれてぐるりと背後を振り返った。
 ショートボブに切りそろえた赤毛に泣きぼくろの女、“愚鈍”のエーイーリー。
 両手には湯気を上げる白磁のマグが二つ。
「……なんのつもりぃ?」
「夜通し作業してくれていたようなので、差し入れでもと。ご迷惑でしたか?」
 声をかけられて集中を切られたという意味では迷惑と言えるし、そもそもこの女の依頼で生じた作業なのだから、この程度の気遣いはして当然だ。
「……ありがとぉ」
 ……とはいえ、それで礼を逸しては、後々どんなあてこすりをされるかわからない。今の所、少なくとも第二席は敵対関係にある相手ではないのだから、自ら不況を買うのは避けるべきだ。
 眠気覚ましのコーヒーも、気付けにちょうどよかろうと受け取って、一口すすった。
「……甘っ!?」
 しかして口の中に飛び込んできたのは、目の覚める苦味ではなく強烈な甘さだった。
「ホットチョコです、今日は2/14ですから」
 たっぷりのチョコが溶けたミルク。匂いで気づけと言う話だが、それがわからないぐらいには消耗していたのだろう。糖分が脳に染み渡る。
 が。
「………………え、抱いていいってことぉ?」
「? ハグですか?」
 座ったまま、無防備に両手を広げる“エーイーリー”。
「……………」
 若干ムラっとしたのでベッドに連れ込んで“理解”らせてやろうかと一瞬検討したが、その欲望を理性で押さえ込み。
「……解析は終わってるわよぉ」
「それはなにより。……原因は?」
「ええ、結論から言うと、イカれてるのはAIじゃなくてアンタの方ねぇ」
「……………えっ?」
「だから、“バアル”のAIがエラー吐いた原因、アンタの挙動がAIの認識と食い違ってるの、AIの計算だと前の戦闘だけでも48回は撃墜されてるはずなのに、実際の機体が無傷っていうデータと現実の差異がどんどん積み重なって、爆発したわけぇ」
「……それは、その、改善できるものなんですか?」
「パイロットの動きに機体が着いてこれない間は無理ねぇ、こまめにケアしないと。似たような例があったから助かったわぁ」
「似たような例というと?」
「第五の空馬鹿。AIの判断じゃ6,532回、殲禍炎剣に堕とされてるはずなのに、全部避けてるわぁ」
「…………狂ってますね」
「狂ってるのよぉ。……処理の仕方はそっちの特務に教えておくから、次からはそいつらにやらせなさいよぉ。ったく、なんで私が……」
「すいません、“バアル”に一番詳しいのは“ツァーカブ”なので……」
「良い御身分よねぇ、人の開発した機体を横から掠め取って、成果をあげたらパイロットのおかげだものねぇ」
「その件に関しては本当に…………」
「おかげさまで“ベル”が完成したわけだけどぉ……忘れてはいないからねぇ、“ソドム”のことも同じよぉ、いずれ全部精算してやるからぁ」
 それは確固たる信念のもとに告げられる、必要以上の馴れ合いはしない、という宣言でもあった。
 今回、頼みを聞いてやったのは、タージューン海戦における不手際を、働きで補っているというだけの話だ。そうでなければ徹夜などしない。
「肝に銘じます……ところで、そちらのモニタに映っているのはなんですか?」
「あぁ、“島”の放送回線をハックしてるんだけどねぇ、ニュースとかバラエティとか、くだらない番組が多いのよねぇ」
 情報収集の一環で、“島”の一般市民が見れるTV番組をハッキングして流しているのだ。重要な情報が眠っているわけではないが、わかることもある。
 向こうも馬鹿ではないので、放置していれば切断されてしまうが、また繋ぎ直すのは第七席にとっては容易な仕事である。
「…………」
「……“エーイーリー”?」
 時刻は、ちょうど朝九時を回ったところだった。


◆ 

 ミトン・キトン王国特務は若干11歳にして、王国近衛第二席、“愚鈍”のエーイーリー直属部隊《ゼブルス》に所属する、幼きエース・パイロットだ。
 子供でも、少女でも、属州出身でも、腕があり、戦果を上げ、敵を倒し、実力を示し、それを見てくれる者がいれば、相応の地位を手にすることができる。家族は餓えなくてよくなったし、ランチのハンバーグに目玉焼きとアボカドをつけることができる。勿論、プラント産ではなく、ちゃんとした天然物だ。
 ミトンは現状に大きく満足していたし、結果を出せず“落第生”となった同期たちを見下していたし、自らを評価してくれた上司を強く敬愛している。
 故に、“エーイーリー”に呼び出された際は流石に緊張したし、それが極秘任務とあれば尚更だった。
「他の近衛はもちろん、《ゼブルス》のメンバーにも、一般兵にもけして知られてはならない任務であると、そう心得てください。あなたの忠誠を疑うわけではありませんが……」
「わ、私が“エーイーリー”様を裏切ることはありません!」
「そう信じています」
 もし意に沿わぬ行為をすれば命はない。
 暗にそう言われても、やはりミトンの忠誠に揺らぎはなかった。むしろそのような任務に同行するに値すると評価されている、その事実が誇らしかった。
「私と共に、“島”へと潜入します。武装も、キャバリアも持ち込めません、正体が敵に露見した場合、命はないでしょう」
 “島”。
 聖アリューシルにとっては不倶戴天の敵である。ミトン自身、交戦経験がある。
 かつて所属していた部隊が光の帯に飲まれていく様も、戦場を劇場だと勘違いした“天使”との戦いも、まだ記憶に新しい。
「了解致しました、“エーイーリー”様。私の“惑乱”の出番ということですね?」
 ミトンの異能……ユーベルコードは“惑乱”と呼ばれる、強制的な対象誤認を引き起こす能力だ。戦場では敵の同士討ちを誘ったり、敵部隊を孤立させるのに用いる。
 長時間の発動が不可能である為、すぐにバレてしまうという難点はあるが、少人数の潜入任務ならば、いざというときにこれほど役立つものはないだろう。
 と、思っていたのだが。
「いえ、あなたが一番《ゼブルス》の中で幼いからです」
「………えっ?」


「その、“エリ”様」
「どうしたの? “ミト”」
 国外でお互いを呼ぶ際は、存在を気取られぬ様に偽名を使うのは至極当然のことだが、それにしたって隠す気がなさすぎないだろうか。
 無論それを口に出すミトン……今は美聖重工の傘下系列企業の役員の娘、黄緑ミトということになっている……ではない。だが、置かれている状況に関しては、未だ脳の処理が現状に追いついていなかった。
「い、いえ、なんでもありません」
「そうですか。まだ少し時間がありますから、トイレに行くなら今のうちに」
「だ、大丈夫です、はい」
 聖アリューシル本国から“島”まで、一般の飛行船や列車を乗り継いで二日、港についてからは“島”で活動している企業の関係者として船で向かう……という流れで、ダミーの“設定”はというと。
「“トフー”のおじ様に伝手があって助かりましたね」
 “第十席”、“無形”のトフー……王国近衛の中でも歴戦の騎士が、いざというときのために用意していた“島”への潜入手段の一つを交渉の末に分けてもらったというから驚きだ、ミトンにとっては雲の上の話である。
 問題はそれでやってきた“島”の中で、足早に向かったのがどこかの企業のデータを取りに行くでもなく、キャバリアを強奪するでもなく、セーブハウスを見に行くでもなく、繁華街の映画館に来たことである。
 既に二人並んで席に座っており、傍らにはLサイズのドリンクとポップコーンが設置してあり、寒くないようひざ掛けまであり、ついでになぜかLEDで点灯する棒状のライトが添えてあった。
「……ちなみに、この玩具は一体……?」
「後で使います。おいおいわかりますよ」
 周りの客の半分ぐらいが、同じようなライトを手に持っていた………厳密にいうと、満席の映画館の半分はミトンより小さな子供で、あとはその保護者といった様相だった。
 ミトンたちもはたから見れば、保護者の“エーイーリー”が娘か妹のミトンを連れてやってきたように見えるだろう。
 やがて、少し先に上映する映画の予告編やら、劇場での諸注意が大画面で流れ出す。
 “エーイーリー”はもうスクリーンを見上げながら、ポップコーンをもぐもぐと一粒ずつ食べて始めていた。
(まさか)
 そんなわけがない。
 今、自身の隣にいるのは“愚鈍”のエーイーリー。
 誇り高き王国近衛の第二席、尊敬すべき上官であり師である。
 その彼女が。
 まさか。
 まさか。
 まさか!!!

(女児向けアニメの劇場版を最速で見る為に……!?)


 それも目立たぬように、隊の中で最も幼いミトンを連れて!
 そんなわけが、あるはず……!

『映画館に来てくれたみんな〜! せ〜のっ!』


「プリティ〜! キャバリエールゥ〜!」


 ライトのスイッチを入れて元気よく叫ぶ二十歳の成人女性の姿を見て、ミトン・キトン王国特務は考えることをやめた。












『み、みんな〜! キャバリエール達がピンチだレホ! キャバリライトを振って応援してほしいレホ〜!』
「「「がんばぇ〜〜! きゃばいぇ〜う〜〜!!!」」」

『これは……みんなの力が集まってくる! チーク! ソープ! カラー!』
『私の力も……使って!』
『あなたは……キャバネイル!?』
『お願い……私だってあの子を救いたい!』
『わかった! 行こう! ……もちろん、みんなも一緒に!』
「「「きゃ〜〜!!! きゃばいぇ〜う〜〜!!!!」」」










「うっうっ、うう〜〜〜〜………」
「泣くのを……ぐすっ、やめなさい、ミトン……」
「だ、だってぇ………ネイルが最後にぃ………」
「生きているわ、生きているのよ、ネイルは……キャバネイルは……!」
 劇場のすぐ横にある新ターキー・プラントチキンで、新作のスイートチリチキンカツサンドを頬張りながら、ミトン・キトンは涙した。
 まさかの初見にも配慮されたストーリー解説を絡めた序盤の展開から、興味を引き込むイベントの連続だった。気がつけばおもちゃのライト……いや、キャバリエライトを強く握りしめ応援してしまっていた。

 ……かように、聖アリューシルはエンターテイメントという点においては明らかに諸国に劣る面がある。見世物というのは大きな劇場で行われる歌劇が中心で、まともに拝もうとするならそれなりの資産とそれなりのマナーが要求されるのだ。その上で解釈が人によって分かれるスピリチュアルな展開が多く、それをより複雑に解釈できる事が知識人のステータスとされるような環境である。

 まして、聖アリューシル王国の少年兵は幼少期から戦うことしか教えられず、娯楽に乏しい。
 エンタメ最前線にて、人の心を引き付けるために作られた映像作品は、水しか飲んだことのない者がいきなりコーラを飲まされるに等しい刺激なのである。

 閑話休題。

「エリ様……これ……!」
 ミトンが差し出したのは、12歳以下の子供のみがもらえる、限定のエールプリズム(ラメメッキ)だった。劇場版にて感動を与えながらも散っていき、皆の心に生き続けるキャバネイルのそれである。
 “エーイーリー”がミトンを連れてきた最大の理由は、これだろう。成人女性一人で見に来る世間体の悪さと、限定グッズの入手。
 どちらもクリアできる必殺の一手だったのだ。
 だが。
「それは……あなたのものです、ミト」
「エリ様!? でも……!」
「あなたの心にも、キャバネイルは居るのでしょう?」
 それは、同じものを見て、同じものに心を震わせて、同じものを感じ取った二人だけが通じ会えることだった。
 限定版エールプリズムをぎゅっと握りしめて、ミトンは思った。
 この人に着いていこう。
 この人のお側で、この人をお守りすることこそが、私の役目なのだ、と。
「大事にしなさい。でも……」
「はい、このことは二人の秘密、です! なにせ……」







「ええ。これは極秘の潜入任務、ですから」

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最終更新:2021年02月19日 20:58