この村旧塩森・上台・二屋・上田とて4区に住す。元禄中(1688年~1704年)宇都宮街道を開きし時、塩森・上台・二屋の3区を集めて1村とす。
府城の南に当り行程3里5町余。
家数19軒、東西20間・南北3町。
東は山に近く北は香塩村に続き西南は田圃なり。
東2町
香塩村の山に界ふ。
西54間
香塩村に界ふ。
南9町小出組小塩村に界ひ闇川橋と限りとす。その村まで14町。
また辰巳(南東)の方6町に1区あり。上和田という。
家数7軒、東西23間・南北59間。
東は山に倚り三方田圃なり。
山川
蛇石
村南8町にあり。
長1丈7尺。形を以て名くという。
今土中に埋もれて首尾の形は見えず。
鶴沼川
村より未申(南西)の方6町余にあり。
小塩村の境内より来り、北に流るること2町20間、香塩村の界に入る。
闇川
村南9町にあり。
闇川村の境内より来り、西に流るること6町40間余、鶴沼川に入る。
広10間余。
摺鉢清水
村西にあり。
2間に1間半。
村中の用水とす。
関梁
闇川橋
村南9町。
小塩村の通路、闇川に架す。
長10間余・幅2間。水面より高きこと9間。
相伝う。昔聖徳太子、百済斑人路子麿をして諸国に180の橋を作らしめ給いし、その一なりとぞ。
昔は両崖より漸々に巨材をかさね越して相接し橋柱を用いず。
加藤氏の臣堀主水、会津を立退く時焼拂いしはこの橋なり。
実にもここは両崕高く峙てるゆえ、橋なくては通路も絶えて成難きに、昔両岸より数多の蛇群がり出て半に至り互いに尾を接えければ、これにならい橋を架せしと里民いえり。後に修補に便ならずとて承應中(1652年~1655年)両岸の山を割て切通とし、橋を今の所に架せり。
神社
三島神社
祭神 |
三島神? |
相殿 |
稲荷神 3座 |
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伊勢宮 2座 |
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熊野宮 |
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山神 |
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地神 |
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権現 |
鎮座 |
不明 |
村中にあり。
鎮座の初、詳ならず。
鳥居あり。府下東黒川
蚕養宮村佐瀬大隅が司なり。
橋姫神社
闇川橋の西にあり。
鳥居あり。佐瀬大隅が司なり。
寺院
東雲寺
村中にあり。
曹洞宗龍澤山と號す。天寧村
天寧寺の末山なり。
縁起を按ずるに、旧高久組
界沢村にありて、金屋尾張守(諱を失う)という者の開基なり。天正16年(1588年)伊達氏の乱(伊達氏の乱は17年なり。16年とあるもの疑うべし)に
燒亡し、天寧寺11世監室という僧再興す。慶長11年(1606年)雲龍という僧住し監室を以て開山とせしとぞ。旧ここに塩島山林泉寺という洞家の寺あり。寛文中(1661年~1673年)廃寺となり、元禄4年(1691年)この寺を移せり。
本尊釈迦客殿に安ず。
古蹟
壇
村南菜圃の中に16あり。
7町計の間に布置す。高2尺より5尺余に至る。俗に十六壇と唱ふ。
その来由を詳にせず。
- 百済斑人路子麿→路子工?(Wikipedia)
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