この村中頃加塩に作る。寛文中(1661年~1673年)旧の文字とす。
相伝う。昔山田塩森とて潮の出る池ありし故に名くと。
府城の南に当り行程3里余。
家数43軒、東西27間・南北4町36間。
東は山に倚り南は
大豆田村に続き、北は
南原村に連なり、西に
田圃あり。
東1里
黒森村の山界に至る。その村まで1里7町余。
西5町
大沼郡馬越村に界ひ鶴沼川を限りとす。
この村、旧曲田・大瀬戸・石原とて3区に住して、山田という端村あり。
元禄中(1688年~1704年)宇都宮街道を開きし時、共に移して1村とす。
山川
鶴沼川
村西5町にあり。
大豆田村の境内より来り、北に流るること10町計、
南原村の界に入る。
神社
稲荷神社
祭神 |
稲荷神? |
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相殿 |
権現 |
地主神なり |
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稲荷神 5座 |
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伊勢宮 |
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山神 2座 |
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大明神 |
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鎮座 |
不明 |
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宗像神社
村より辰(東南東)の方4町余にあり。
この地に山田溜池とて周1町余の池あり。中に鶴島亀島という島あり、鶴島に当社を勧請す。
鳥居あり。村民の持なり。
愛宕神社
村より寅(東北東)の方1町余、山足にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。修験胎蔵院これを司る。
寺院
保福寺
村西にあり。
加塩山と號す。府下
南町(分)成願寺の末寺臨済宗なり。
何の頃草創にか知らず。
本は諸宗の僧侶住して宗旨もさだかならず。
慶安3年(1650年)より成願寺に隷すという。
旧村南にあり、元禄9年(1696年)にここに移す。
本尊は薬師客殿に安ず。
地蔵堂
境内にあり
古蹟
館跡
村西3町にあり。
東西50間・南北30間。
西は鶴沼川に臨み、北に深谷あり。東南に土居・空隍繞れり。
星越中・安田右京・穴澤越後(皆諱を失う)などいう者居りしといい伝う。
旧家
山田孫左衛門
この村の肝煎なり。
11代の祖を孫左衛門某とて葦名氏に事へ、本村及び橋爪田中等の諸村を領して、歩卒300人を預かり向羽黒(葦名盛氏の居城)三日町口を固めしといい伝う。
今鎗1本及び長柄1筋を家に蔵む。
- Google Map
- 香塩地区
- 鶴沼川 - 現在の阿賀川(大川)
- 稲荷神社 - 現熊野神社か?
- 宗像神社 - 場所は大豆田に近いが、ため池の中にある宮は他に該当する社なし
- 愛宕神社
- 保福寺 - 境内にイケメン野口英世像があります
- 館跡?
- 会津古塁記に「加塩村塁 東西十五間南北三十間 文明三年辛卯星越中築く。」との記載あり(文明3年:1471年)。加塩村名義時の城か?
- また、石田明夫氏の説では香塩城の他に阿賀川沿いに香塩館もあったとの事。現存はしていない
- 会津鉄道神社
村名の変移
明治8年(1875年)、香塩村・南原村・大豆田村が合併し上三寄村となった
明治22年(1889年)4月1日の町村制施行時に雨屋村・上三寄村・上小塩村・芦牧村・大川村・高川村が合併して北会津郡大戸村が成立
昭和30年(1955年)に会津若松市に編入、大戸村も消滅した
参照:
大戸村 - wikipedia
最終更新:2025年06月08日 21:37