会津・河沼両郡の界にあるゆえ名けりという。
府城の西北に当り行程1里31町。
家数50軒、東西1町25間・南北1町55間、四方田圃にて西は黒川に近し。
東7町10間
中森台村の界に至る。その村まで10町40間余。
西2町
高久村の界に至る。その村は申(西南西)に当り11町30間。
南8町15間
下吉田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り7町余。
北4町
河沼郡笈川組米丸村の界に至る。その村まで10町20間。
また
未(南南西)の方9町10間
横沼村の界に至る。その村まで14町30間余。
戌亥(北西)の方5町5間
笈川組熊川村の界に至る。その村まで7町20間。
もと村の戌亥(北西)の方40間余に西舘という端村あり。今は廃せり。
山川
黒川
村西1町にあり。
上吉田村の境内より来り、北に流るること25町余
高久村の界に入る。
水利
清水堰
神社
熊野宮
村より亥(北北西)の方2町にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。
寺院
耕真寺
村中にあり。
曹洞宗高雲山と號す。開基詳ならず。
天正3年(1575年)獨峯という僧中興し、天寧村
天寧寺の7世正元を請して開山とせり。
即
天寧寺松山なり。
本尊如意輪観音客殿に安ず。
稲荷神社
境内にあり。
古蹟
館跡2
一は村中にあり。
東西20間・南北27間、
土手高5尺・根置3間、
北に堀形残れり。幅3間。
昔葦名直盛の臣金屋尾張某という者住せりという。
一は村より戌亥(北西)の方40間にあり。
東西20間・南北30間。
西館という。
何の頃にか金屋某居りしという。
今田畝を開く。
堀の趾僅かに遺れり。
東雲寺跡
村北にあり。
元禄4年(1691年)本郡南青木組
大豆田村に移れり。
壇
村より未(南南西)の方7町にあり。
高9尺・周21間。
古堂という。
往古堂ありし所といい伝う。
下橋
村北2町にある字なり。
昔橋ありし時、源義経馬より下りて過しとてこの名ありとぞ。
今は橋架すべき川もなく名のみ遺れり。
外部リンク等
村名について
幕末まで(1868年)、会津郡界沢村
明治初年(1868年)、界沢村が北界沢村、南界沢村に分村。
明治8年(1875年)、 北界沢村・南界沢村が合併し界沢村となる(元に戻った形)。
明治22年(1889年)、上高野村・始村・藤室村・中沢村・中沼村・木流村・柳川村・界沢村・石堂村・上荒久田村が合併し栄和村となる。
明治36年(1903年)、栄和村の一部(始・中沢・石堂・藤室・上荒久田)に町北村が、残部(中沼・木流・柳川・界沢・上高野)に高野村が発足。
昭和26年(1951年)、町北村が若松市に編入。
昭和30年(1955年)、門田村・湊村・一箕村・高野村・神指村・大戸村・東山村が若松市に編入し、改称して会津若松市となる。
清水堰
※
湯川村史「第61図 新堀関係図」より - 国立国会図書館
湯川村史を見ると森台・竹内・米丸・笠ノ目・田中・及川村の灌漑につかわれている中地堰が清水堰ではないかとの記載がある
界沢地区の社寺
法人番号公表サイトで検索すると下記の登録がある
| 法人番号 |
商号又は名称 |
所在地 |
| 9380005008166 |
熊野神社 |
会津若松市高野町大字界沢字北畑68番地 |
| 5380005008418 |
宗教法人耕眞寺 |
会津若松市高野町大字界沢字界沢49番地 |
最終更新:2025年12月19日 23:12