耶麻郡五目組野辺沢村

陸奥国 耶麻郡 五目組 野辺沢(のへさは)
大日本地誌大系第32巻 117コマ目

府城の北に当り行程6里34町余。
家数23軒、東西2町・南北3町。
東西北に山連なりその間に田圃(たんぼ)を闢き東に野辺沢川あり。

東1町50間日中村の界に至る。その村まで13町余。
西27町余上野村の山に界ふ。
南8町15間金屋村の界に至る。その村まで15町20間余。
北は重山連なり、4里計米沢領出羽国広川野村の山に界ふ。
また
辰巳(南東)の方8町35間黒川村の界に至る。その村まで12町10間余。

この村より広川野村を経て米沢に至る間道あり。小径にて馬を通せず。
もとは北の方1里余山中に猿畠新田(さるはたしんでん)という小名あり。今はなし。

小名

長谷地新田(なかやちしんでん)

本村より亥(北北西)の方14町、三倉山の半腹にあり。
家数4軒、東西50間・南北25間。
山間に僅かに田畠を開く。

端村

赤沢(あかさは)

本村の北17町40間予にあり。
家数4軒、東西15間・南北1町30間。
山間に住し四方僅かに田圃を開き西は野辺沢川に傍ふ。

右衛門小屋(えもんこや)

本村の北2町にあり。
家数3軒、東西50間・南北30間。
山間に住し四方少しく田畠を開き東は野辺沢川に傍ふ。
正保中(1645年~1648年)地頭横澤丹波という者の臣小澤右衛門といういう者闢きし故かく名くという。

山川

八千森山(はつせんもりやま)

村より辰(東南東)の方1町余、野辺沢川の東にあり。
この山より少しく(なまり)を産す。

三倉山(さんのくらやま)

村より亥(北北西)の方18町計にあり。
登ること13町余。
この山奥亥子(北北西~北の間)の方10町余に陣場山(ちんはやま)あり、西は五目村端村大平の地なり。
天正の頃(1573年~1593年)伊達政宗会津を襲わんとてここに陣せし故この名ありという。その時横澤丹波三倉山に陣し拒けれども終に戦負て討死す。その墓印とてこの山と三倉山との間に古木あり。遠く望めば人形に似たるゆえ人形木と名け寛政の始め(1789年~)まであり。今は枯失ぬ。

野辺沢川

村北4里計戸口山(とのくちやま)の山中より源を発し、数流の渓水これに合し山間を経ること4里計、村東をすぎ黒川村の方に入る。
広7間計。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 伊勢宮
   山神
草創 不明
村より亥(北北西)の方1町余、山麓にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。
社の南に岩窟あり。岩石折重なり口狭し。下ること3町余に畳10畳ほどしくべき所ありという。



余談。
右衛門小屋は本村の北と記載がありますが、赤沢の北の誤りじゃないかと。
最終更新:2020年08月11日 18:33