耶麻郡慶徳組萬力村

陸奥国 耶麻郡 慶徳組 萬力(まんりき)
大日本地誌大系第32巻 129コマ目

この村もと萬力村といいしが、何の頃にか1人の行者一切経を牛車に積でこの地に来り、その牛斃れしかば経を石函(せっかん)に蔵て土中に埋めし故一切経村という。寛文中(1661年~1673年)古名に復す。

府城の西北に当り行程4里5町。
家数13軒、東西48間・南北1町34間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東5町2間小荒井組柴城村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り7町20間余。
西5町30間・北5町、共に小荒井組長尾村の界に至る。その村は北に当り6町。
南2町30間鎧召村の界に至る。その村まで4町50間余。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 伊勢宮
   八幡宮
鎮座 不明
村南1町にあり。
鳥居あり。上三宮村高村能登が司なり。

寺院

楞嚴寺

村中にあり
経納山と號す。曹洞宗会津郡南青木組善龍寺の末山なり。
建立の年月詳ならず。
もとは村の丑寅(北東)の方にあり。天正巳丑の兵燹(へいせん)にかかりその後今の地に移り、寛文中(1661年~1673年)より善龍寺の末山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。

経塚

境内にあり。
2間半四方。一切経と埋めし所という。
また村西1町余に牛塚あり。東西1間半・南北2間。一切経を負いし牛を埋めし所という。この塚に生する木を伐れば必ず(わざわ)いありといい伝う。



  • Google Map
    • 万力地区
    • 神社(諏訪神社?)
    • 楞嚴寺
    • 若宮八幡神社
      • 鳥居の額束(がくつか)に「若宮八幡神社」と「古峯神社」と書かれています。この地区に古峯神社の札を納める石塔が無いようなので、この神社に奉納しているのではないかと。
      • すぐ近くの民家の敷地内に「稲荷大明神」と書かれた額のある社あり。
最終更新:2020年08月21日 12:56