耶麻郡小荒井組柴城村

陸奥国 耶麻郡 小荒井組 柴城(しはしやう)
大日本地誌大系第32巻 102コマ目

府城の西北に当り行程4里。
家数14軒、東西1町18間余・南北1町19間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東1町45間渋井村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町20間余。
西6町長尾村の界に至る。その村まで13町。
南7町37間沖村の界に至る。その村まで8町20間余。
北1町荒分村の界に至る。その村まで6町10間余。
また
巳(南南東)の方4町28間第六天村の界に至る。その村まで14町30間余。
未申(南西)の方5町20間慶徳組萬力村の界に至る。その村まで7町20間余。

小名

土居場(といは)

本村の南3町40間余にあり。
家数2軒、東西9間・南北43間。
四方田圃なり。

端村

西村(にしむら)

本村の西40間にあり。
家数3軒、東西32間・南北58間。
ここより南に家数3軒あり。新屋敷という。
共に四方田畑なり。

(たい)

西村の西4町20間余にあり。
家数14軒、東西36間・南北2町2間。
また東の方1町余に家数2軒。新村という。
共に四方田圃なり。

反町(そりまち)

本村の南6町余にあり。
家数3軒、東西57間・南北1町16間。
四方田圃なり。

山川

式部川

端村台の西2町にあり。
荒分村の境内より来り、南に流るること6町30間余慶徳組萬力村の界に入る。

水利

遠田堰

荒分村の方より来り田地の養水とし第六天村の方に注ぐ。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
勧請 不明
村北20間余にあり。
鳥居あり。上三宮村高村能登これを司る。

大明神社

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
鎮座 不明
端村西村の戌亥(北西)の方1町30間にあり。
鳥居あり。

別当 柴城寺

本山派の修験なり。現住覚了は開山儀禅が15世の孫なりという。

稲荷神社

祭神 稲荷神?
鎮座 不明
端村台の北1町にあり。
鳥居あり。柴城寺司なり。

古蹟

館跡

村中にあり。
東西33間・南北32間。
應安の頃(1368年~1375年)柴城民部重行というもの居といい伝う。今民屋となり、中に的場の迹の残り南に馬場の跡あり。

旧家

荒井伊助

この村の肝煎なり。彼が祖荒井新兵衛某というもの天正中(1573年~1593年)伊達氏当地を襲いし時討死す。その子左近というものこの村に来り肝煎となり子孫今に至るという。
武具・系譜等も今は失い、ただ鑓1本を蔵む。
古文書2通あり。その文如左(※略)。

慶徳善四郎

端村台の肝煎なり。
葦名氏の長臣平田是亦齋が子慶徳善五郎某が末葉なり。葦名氏没落の後善五郎が子善四郎貞直というものこの村に住し子孫今に至るという。
家に武器あり多くは朽損(きゅうそん)す。その制近代の物に非ず。
古文書3通あり。その文如左(※略)



余談。
御饌津(みけつ)神は倉稲魂命の別名です。
最終更新:2020年08月05日 14:34