新宮熊野神社

陸奥国 耶麻郡 慶徳組 新宮村 熊野宮
大日本地誌大系第32巻 132コマ目
※国立公文書館『新編会津風土記67』より

祭神 新宮(速玉宮) 伊弉冊尊(いざなみのみこと)早玉男神(はやたまおのかみ)
本宮(證誠殿) 伊弉冊尊、菊理姫神(くくりひめのかみ)
那智(結御前) 伊弉冊尊、事解男神(ことさかのおのかみ)
縁起に、天喜年中(1053年〜1058年)源義家朝臣東征のとき我(つつが)なく夷賊を討滅して帰洛することを得ば、東奥の地に熊野三社を勧請すべしと祈誓(きせい)(やが)て勝軍し夷賊誅に伏せしかば、この所に宮居を建立し熊野山新宮と名け社産許多(あまた)を寄付し、霊堂末社も数多ありて神官社僧祭事を修し禮式厳重なり。その頃恒祭は6月15日にて、田楽相撲等を興行し貴賎群集してその賑ひ大方ならざりしとぞ(舊事雑考には義家朝臣代田組熊野堂村に勧請ありしを、應徳2年(1085年)この所に移し祭るという)。
慶長中(1596年~1615年)蒲生秀行当社の来由を尋ねしに、神職創建の始末を告げ(かつ)義家朝臣の鞍・鐙を呈進(ていしん)す(旧字雑考に鞍・鐙を呈せしは寛永中(1624年~1645年)の事とし、また鞍の山形に義家という2字を置しとあり。蒲生忠郷上洛供奉(ぐぶ)の時この物を用いしかば、洛中の貴賎目を驚せしといい伝う)。
同6年(1601年)地震ありて拝殿既に傾き倒れんとす。仍て修理を加ふ(旧字雑考に慶長19(1614年)6月拝殿再興供養とあり)。
寛永中(1624年~1645年)加藤氏封に就しより社産を失い殿屋漸々に廃圯せり。
正保2年(1645年)宥慶という僧修造せり。

祭禮は3月15日・16日、6月15日・16日なり。

鳥居

両柱の間2丈5尺余・高4間1尺余。
左右に2の表石あり。
昔はこの所に大門ありしが廃圯してこの石を建という。これを石神と称す。

制札

鳥居の側にあり。

鐘楼

鳥居を入り拝殿に至る左の方にあり。
鐘、径2尺7寸。
銘あり。その文如左。
奉冶鑄奥州會津熊野山新宮社之鐘一口
      一山之衆徒三十人
     大檀那 従 太姉
     同地頭 平朝臣明継
      結縁衆百余人
      大工  景政
 貞和五己丑年七月二十一日
※貞和5年:1349年

拝殿

13間半に6間。
もと鎮座以来の拝殿有て漸々に頽破(たいは)せしかば、旧材を用いて修補せしとて今に結構巨宏なり。

三社

拝殿より石階を登り御前山の麓、森の内にあり。
三社共に東向きにて中央を新宮とす。本社なり。3間四面。祭神は伊弉冊尊の木像長1尺1寸7分。早玉男神の木像長1尺9寸2分。速玉宮と號し、また西の御前ともいう。
北の社を本宮とす。祭神は伊弉冊尊の木像、菊理姫神木像。共に長1尺1寸7分あり。證誠殿と號し中殿という。
南の社を那智という。祭神は伊弉冊尊の木像長1尺7寸3分、事解男神の木像長2尺4分。結御前と號し、また中の御前ともいう。
共に2間半四面なり。
この社今に霊威いちじるしく、村民の崇畏るること陀に殊なり。

またこの社に七不思議あり。
一には、三社の屋上に鳥栖す。
二には、拝殿に雀の巣なし。
三には、拝殿に蚊入らず。
四には、拝殿に2間計、板の敷れざる所あり。
五には、村中に火災ありても2軒に及ばす。
六には、村民に蛇毒の害なし(一説には、この村の境内は栗木生じて1年にて実るという)。
七には、毎年いつくよりか熊来て神前に詣す。

この外旧跡多し。みな左に記す。

末社2座

八幡宮 拝殿の南にあり。
伊勢宮 八幡宮の南に並ぶ。

文殊堂

拝殿の南、新宮の側にあり。
4間に3間半。文殊の木像を安ず。長1丈2尺、運慶作という。
相伝ふ。建久3年(1192年)に当社の神職鎌倉に往き、領主のために社領を犯され難儀に及べる旨を訴えしかば、源頼朝郷より社領200町の證状を下し給いまた文殊の木像を当社に納らる。後小像ゆえにこの木像の軀中に納む。或云、運慶作はこの小像にて大像の文殊は後の彫刻なりと。

銀杏樹

拝殿の東にあり。
当社開基の頃よりの古木なり。
この外に桜の名木ありしが、今は枯ぬ。

別当 新宮寺

本社の南にあり。
熊野山と號す。開基詳ならず。意うに、当社の勧請の時建立ありしなるべし。
大永の頃(1521年~1528年)雄仁という者住せり。その後何れの頃にか廃絶して堂宇も顛倒(てんとう)せしを、正保2年(1645年)延行院宥慶本社を造立しまたこの寺をも再興して当社の別当となる。
真言宗大町弥勒寺の末寺なり。
本尊弥陀(長1尺5寸)、脇立薬師(長2尺5寸)・観音(長1尺6寸)客殿に安ず。共に運慶作という。
神宝・寺宝多し。みな下に挙く。

神宮寺

新宮寺の南にあり。
山號を諸法山という。新宮寺の奥院にて社僧の一なり。
本尊弥陀の銅像、長1尺。恵心作という。

寶物

鞍鐙        1具。慶長中(1596年~1615年)蒲生秀行に献せり。鞍に義家という彫付けありしという。
薬師佛木像     1軀。慈覚作。
十二神将木像    12軀。定朝作。
虚空蔵木像     1軀。同上。昔この社の境内湯峯という所に佛閣ありてその所に安置せる佛なりとぞ。
相撲力士木像    1対。作者不知。
同         1対。運慶作。義家朝臣当社草創の時相撲を以て合戦の勝負を占わる。それにより毎年6月の祭で15番の相撲あり。因てこの人形今にありとぞ。その図左に載す。

如意輪観音木像   1軀。定朝作。
地蔵木像      1軀。運慶作。
賓頭盧木像     1軀。同上。
大黒天木像     1軀。空海作。
不動脇建二童子木像 3軀。運慶作。
熊野山新宮額    堀川帝の宸筆という。
三千佛画像     3幅。天竺印陀羅の画なり。義家朝臣の奉納という。
空海画像      1幅。光明天皇の御画なり。
大般若経      126巻。写本にて辛櫃(からひつ)4に入る。共に『文亀二甲子五月吉日築田右京』(文亀2年: 1502年)という銘あり(文亀2年は壬戌なり。干支誤れり)。全部残欠(ざんけつ)処々に奥書きあり。如左(※略)
紺紙金泥経文    1枚。菅相公筆。
同         1枚。空海筆。
善光寺如来画像   1幅。恵心筆。
相撲田楽日記    1巻。その文如左(※略。天文14年(1545年)の相撲の取組表)
細字法華経     1部。銅の経箇に入る。口径1寸5分、長4寸余。彫付けあり。その文如左(※略)
光源氏系図     1軸。近衛関白信基公筆。
牛玉宝印刻板    1枚。裏に新宮熊野山常住の牛玉印『永享二年庚戌正月吉日作者山岸坊上野』という銘あり(永享2年:1430年)。
玉山講義付録    1部。函に入る。肥後守正之寄付。
大錫杖       1柄。徳一所持の物という。
同         1柄。新宮教念と銘あり。伊予阿闍梨教念所持の物という。
宝剣        2口。1は護平、1は行光作という。
猿田彦仮面     1枚。作者不知。
鈿女仮面      1枚。同上。
天探女仮面     1枚。同上。
陵王仮面      1枚。古物なり。
狛犬        1又。作者不知。古物なり。
神輿        1基。古物なり。
木像獅子頭     1軀。古物なり。或云、運慶作なりと。
甲冑        1領。
長床鰐口      1口。その銘如左
  熊野新宮寶前
   奉施入周四尺五寸鰐口一口
  治承三年八月日 僧伊勢
※治承3年:1179年
南宮鰐口      1口。その銘如左。
  在□□慶剛字高瀬小旦那御子別當吉原大工願倩
 敬白奥州會津熊野山両所鰐口一口大旦那沙彌政宗
   康應二年三月三日
※康應2年:1390年
鉢         1口。その銘如左。
 陸奥國會津山郡熊野山新宮
 證誠殿御鉢   大旦那妙悟
 暦應四年辛巳六月三日大勧進比丘尼明月
         大旦那平内次郎
         大工圓阿
         同子息定能
         結縁衆十万人
※暦應4年:1341年
古文書       1通。葦名家臣富田氏實領地出入の時自筆和談状なり。その文如左(※略)。
蒲生家古文書    1通。寺領寄付状なり。その文如左(※略)。
御正体円鏡     1面。その銘如左。
   大勧進僧 浄尊證一
 會津  地頭代 左兵衛少尉藤原知盛
  小守官預所代 右兵衛少尉平 國村
 新宮  弥勒元辛卯二月廿二日
(舊事雑考にいう。大歳在辛卯もの、天武帝朱鳥5年辛卯(691年?)より慶安4年辛卯(1651年)まで10余回あり。その中改元の年に当るもの朱雀院承平元年(931年)と高倉院承安元年(1171年)のみ辛卯の歳に当れり。また承安の前の年に9月の頃桜梅桃李(おうばいとうり)の花盛りに開けるよし旧記に見ゆれば、世俗弥勒出世(みろくのしゅっせ)先兆(せんちょう)などいうにより、私にこの年号を作りてこの神器に刻めるも知るべからず。もし改元の年の辛卯ならば承安元年なるべし。然れども承安に地頭の號あるは怪しむべしと云々(うんぬん)
以下十種今これを失う。舊事雑考に拠てその文を録す)
御正体円鏡     1面。その文如左。
 大勧進僧 浄尊
  横三郎 壬部廣末
 會津新宮
  弥勒元辛卯二月廿二日
同         1面。その銘如左。
  敬白  先達吽慶
 會津  奉懸若王子御正體
 新宮      物部氏女
 永仁四年丙申正月十五日藤原氏
※永仁4年:1296年
同         1面。その銘如左。
 熊野山新宮
 西宮結御前  御正體
   願主        城仙坊
 元享三年癸亥十二月廿四日妙性尼
※元享3年:1323年
同         1面。その銘如左。
 熊野山新宮
 中宮結御前  御正體
   願主        城仙坊
 元享三年癸亥十二月廿四日 妙性尼
同         1面。その銘如左。
 熊野山新宮
 證誠殿    御正體
   願主        城仙坊
 元享三年癸亥十二月廿四日 妙性尼
同         1面。その銘如左。
 會津熊野新宮證誠殿御寶前
 奉懸三尺御正體一面
 右志趣云云別當所地頭領家繁昌
 元享四年甲子六月二十八日
  大旦那  比丘尼従満
  同    右衛門尉平時明
       住持  赤雲
※元享4年:1324年
同         1面。その銘如左。
 敬白
  奥州會津新宮御寶殿
  奉懸十一面御正體一體
 右奉鑄懸十一面御正體意趣者為當荘惣
 地頭平時明并一族等云云別者大旦那比
 丘尼觀全云云
 正中二年乙丑十二月十五日兵衛尉助成
         大旦那 比丘尼觀全
         同   比丘尼道觀
※正中2年:1325年
中宮鰐口      1口。その銘如左。
 奥州會津新宮荘
 熊野山 鰐口一口
  願主 伊豫阿闍梨
 康暦二年正月十一日
※康暦2年:1380年
北宮鰐口      1口。その銘如左。
 奥州會津熊野山若一王子御前鰐口
 永享七年乙卯十二月廿七日 旦那申口
  所毫順彫工
   裏若一王子旦那熊宮秀家
※永享7年:1435年
明應9年(1500年)・文亀2年(1502年)・永禄6年(1563年)の棟札あり。その文如左(※略)。


最終更新:2020年08月23日 23:47