会津郡大塩組塩沢村

陸奥国 会津郡 大塩組 塩沢(しほさは)
大日本地誌大系第31巻 145コマ目

村中に塩井あり。村名の起こりし処という。

府城の西に当り行程18里。
家数53軒、東西3町・南北2町。
数居す。
北は山に倚り南は只見川に傍ふ。東西に少しく田圃(たんぼ)あり。

東22町大沼郡本組滝沢村に界ひ畳子沢を限とす。その村は寅(東北東)に当り1里24町。
西16町蒲生村の界に至る。その村は未申(南西)に当り1里。
南1町十島村に界ひ只見川を限とす。その村は巳(南南東)に当り8町。
北2里蒲生村の山に界ふ。

山川

笠倉山(かさくらやま)

村北25町にあり。
麓より頂まで3町余。

只見川(たたみかわ)

村南1町にあり。
蒲生村の境内より来り、辰(東南東)の方に流るること1里余滝沢村の界に入る。
広1町余

塩沢川(しほさはかわ)

源を笠倉山に発し、山間を屈折して東南に流るること30町計、村中を過ぎ只見川に注ぐ。
広7間計。
(ます)(やまへ)岩魚(いはな)を産す。

畳子沢(たたこさわ)

村東22町にあり。
倉山という処より流れ出て、13町計東西に流れ只見川に入る。
この沢を会津・大沼2郡の界とす。

塩井

村中、塩沢川の東岸巌穴(がんけつ)の間にあり。
周6尺余、深1丈。
傍に塩焼小屋6軒あり。
村民常に農隙(のうげき)を以て井水を汲み煮て塩となし、他村まで(ひさ)ぎ出す。
塩の味ひ軽く色白し。
土人は空海の護摩を修せしに因って湧出すという。その時のものなりとて、塩ほりつくしと唱て長1尺計の黒石5枚今に塩釜神社に蔵む。

関梁

橋2

一は村中にあり。
長8間・幅7尺。
塩沢川に架す。
一は村東1町隣村の通路にあり。
小塩沢という渓流に架す。
長6間、丸木橋なり。

神社

塩釜神社

祭神 塩釜神?
相殿 権現
鎮座 不明
村の北東にあり。
鳥居拝殿あり。

神職 五十嵐備前

何の頃かに土佐忠久という者神職となり、三世にして今の備前忠広に至ると云う。

寺院

醫王寺

村北山足にあり。
真言宗なり。村中に塩井あるに因て塩光山と號すと。
開基の年代詳ならず。
弘治2年(1556年)大沼郡本組横田村本城寺より宥意という沙門来て中興す。因て彼寺に隷せしが後改て紀州高野山遍照院の末寺となる。
本尊薬師客殿に安ず。

旧家

孫之丞

矢澤河内藤綱が七台の孫なり。
藤綱は山内氏の世臣にして常に一隊を統べ、入ては密謀に預かり出ては攻戦に加はり天正18年(1590年)松坂峠の合戦に敵の伏兵俄に後を絶ち、横田日向同出羽同兵庫同周防同安藝などいえる者立ところに戦死す。藤綱もその党15人と一番に進て命を殞し、氏勝をして死地を免れしめたりという。
子孫農民となり本村に住す。