耶麻郡吉田組極入村

陸奥国 耶麻郡 吉田組 極入(こくにふ)
大日本地誌大系第32巻 158コマ目

この村深山の奥にて四面みな高山なり。小径ありて隣村に通すれども嶮隘(けんあい)にして(ただ)小屋村に出るの外牛馬通せず。
この組の村落北の方、ここに至って(きわま)る。

府城の西北に当り行程10里18町。
家数42軒、東西2町10間・南北6町53間。
奥川の両岸に住す。

東は木曽組宮古村の山に続き、西は数峯を隔て越後国蒲原郡鹿瀬組実川村の山に連なり、共に界域分ち難し。宮古村は辰(東南東)に当り29町30間余。
南9町計小屋村の山に界ふ。その村は申(西南西)に当り14町10間余。
北は小名弥平四郎を経て飯豊山に登る径路なり。数峯を隔て木曽組一戸村の界に至るまで山径凡4里計。その間高山・幽谷(ゆうこく)を隔て路最も嶮し。飯豊山参詣の外たやすく登るべからず。

小名

弥平四郎(やへいしろう)

本村の北1里8町余にあり。
家数19軒、東西50間・南北3町。
東は奥川に傍ふ。
木地を挽て産業とす。近頃往々山間に田圃(たんぼ)を闢く。
この村飯豊山に登る径路にて封内東より来る者は一戸村を過ぎ、西より来る者はこの村を過ぐ(俗に飯豊山の裏街道という)。
毎年8月に至れば里民群集せり(一戸村の条下を併せ見るべし)。

山川

高森山

村西1里30町にあり(本郡の条下に詳なり)

夏越戸山(なつこえとやま)

村北3里計にあり。
高150丈余。
この後に(そばだ)つを疣岩山(いほいはやま)といい飯豊山の麓なり。

ガシウ峠

小名弥平四郎の東21町30間にあり。
登ること8町30間。
木曽組一戸村にゆく経路なり。

奥川

村中にあり。
源は疣岩山より出て、弥平四郎の東を過ぎ未申(南西)の方に流て倉谷川を過ぎ、村中に至り石谷川来り注ぎまた未申(南西)の方に流れ小屋村の界に入る。
境内を経ること3里余。広10間計。

倉谷川(くらたにかわ)

源は夏越戸山より出て、辰巳(南東)に流るること2里計、村より15町余丑寅(北東)の方にて奥川に注ぐ。
岩魚(いはな)(やまへ)を産す。

石谷川(いしたにかわ)

村中にあり。
源は高森山より出て、東に流るること1里余、村中にて奥川に注ぐ。

村西1里、山奥にあり。
周60間。

清水2

一は村東1町にあり。周7間。
一は村より戌亥(北西)の方6町にあり。周8間。
共に田地の養水とす。

原野

牧場

村北2町、山中にあり。
東西3町・南北1里19町。

土産

紫萁(せんまい)

高森山より出つ。

舞茸(まひたけ)

村北の山中より出つ。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 伊豆神
   山神
鎮座 不明
村東山腰にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

寺院

金蔵寺

村東山麓にあり。
真言宗光谷山と號す。府下道場小路観音寺の末寺なり。
開基詳ならず。
旧小屋村にあり。寛永3年(1626年)この村に移し観音寺の僧信光という者再興せりという。
本尊大日客殿に安ず。


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      • 疣岩山の南西(上ノ越ルート)手前にある巻岩山あたりではないかと。
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    • ガシウ峠?
      • 弥平四郎の東にある「賀所」という地名が由来かと。さらに県道383号熱塩加納大和西会津線を挟み南北に大賀所小賀所に別れています。現在大賀所の東の山上には県道沿いに新稲荷峠があり、小賀所の山上には旧稲荷峠があったようです。
    • 倉谷川 - 現在の久良谷川の事かと
    • 大聖歓喜天(稲荷神社があった場所)? - 建物確認できず
      • 金蔵寺側の参道を登った先村東の山腰の位置に当りますが、あるのは稲荷神社ではないようです。確かに明治時代の地図には神社のマークが記載されていません。
    • 金蔵寺
    • 大山神社?(弥平四郎) - 参道(石段)はある。
    • 如意輪観世音菩薩堂?(弥平四郎) - 堂確認できず。



蛇足。
弥平四郎の名前の由来がわかりません…。
最終更新:2020年10月20日 08:00