耶麻郡木曽組一戸村

陸奥国 耶麻郡 木曽組 一戸(いちのと)
大日本地誌大系第32巻 144コマ目

この村の入口に飯豊神社の一の鳥居あり。故に村名とせしという。

府城の西北に当り行程9里。
家数60軒、東西1町・南北10町。
東は一戸川に傍ひ西は山に連なる。

辰巳(南東)の方10町沼平村の界に至る。その村まで23町。
西2里計吉田組極入村の山に界ふ。
南1町6間藤沢村の界に至る。その村まで1里計。
北3里30町余米沢領出羽国置賜郡に界ひ飯豊山箸王子の峯を限りとす。

この村は飯豊山に登る道にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

毎歳8月に至れば登山の者群集してこの村に宿す。

端村

高野原(かうやはら)

本村の北6町にあり。
家数18軒、東西3町・南北4町。
西は一戸川に傍ふ。

橋爪(はしつめ)

本村の南3町にあり。
家数16軒、一戸川の両岸に住す。東西4町・南北4町。
東西は山に傍ふ。

廻渡(まはと)

本村の南15町にあり。
家数5軒、東西2町・南北2町。
東は山に続き西南は一戸川に傍ふ。

木地小屋

藤巻(ふちまき)

本村より戌亥(北西)の方2里にあり。
家数5軒、東西3町・南北5町。
深山の奥に住す。

村杉沢(むらすきさは)

本村の北2里余、飯豊山の麓にあり。
家数9軒、東西2町・南北8町。
一戸川の上流に傍ふ。
もと五目組山岩尾村の山中に住し、寛文の頃(1661年~1673年)この地に移れり。

山川

飯豊山(いひてやま)

村より戌亥(北西)の方4里計にあり(本郡の条下に詳なり)。

舘山(たてやま)

村西にあり。
頂に宅地の跡あり。相伝ふ、昔強盗多く住しと。

赤崩山(あかくつれやま)

村北2里計にあり。
東は五目組山岩尾村に属し、西は飯豊山に連なり、北は米沢領に界ふ。

栗森山(くりもりやま)(黒森山)

黒森山ともいう。
村より辰(東南東)の方30町余にあり。
高100丈余。栗樹多き(ゆえ)名くという。
東は山岩尾村に界ふ(本郡の条下に出す)。

大花山(おほはなやま)

村北1里余、飯豊山にゆく路傍にあり。
巉岩(ざんがん)高く(そばだ)ち秀麗愛すべし。

一戸川

村東にあり。
広10間計。
源は飯豊山銀峯(ぎんがみね)より出て、大滝(おほたき)三階滝(さんかいたき)高泉滝(かうせんがたき)等の瀑布に注ぎ辰巳(南東)に流れ一戸川となり、南に流れて藤沢村の界に入る。
この村の境内を経ること凡6里計。

土産

この村の山中に産するもの密葉(みつば)繁茂(はんも)し大抵赤杉なり。木理(もくり)ゆがみなく、その材の美なること封内の第一とすべし。多くの器物を製造し(はなは)だ民用を利す。また伐し後(ひこばえ)を生し自ら茂林(もりん)をなす。
村西山中の杉山は不時の用に備て(みだら)剪伐(せんばつ)することを許さず。

姫松

封内に少し。(ただ)この村の産最勝れたり。碁局に製するもの多し。

水利

新田堰

猪苗代見祢山神領のために鑿し新堰なり。
村北1里計にて一戸川を引き山の半腹を穿て水を通し神領新田に(そそ)ぐ。

神社

飯豊神社

祭神 五社権現 一王子 味鉏高彦根命(あぢすたかひこねのみこと)
   二王子 下照姫命(したてるひめのみこと)
   三王子 事代主命(ことしろぬしのみこと)
   四王子 高光姫命(たかてるひめのみこと)
   五王子 御井命(みいのみこと)
鎮座 不明
村の戌亥(北西)の方6里計、飯豊山の頂にあり。
(五社権現の鎮座し給う地は蒲原郡小川荘の地なれども小川荘より通路()ゆ。(かつ)てこの村にて修補を助る故ここに出す)
村の入口に一の鳥居あり。側に五社権現を遥拝(ようはい)する所あり。
(それ)より村中を過ぎ龍山(りうやま)大花(おほはな)などいう山麓を経て村杉沢という木地小屋に至る。小屋を作り置き塩を焼てこれを(ひさ)ぐ。登山する者この塩水にて身を清む。
その側に菴沢(いほりさわ)とて昔空海菴を結んで宿りしという所あり。小堂を構て空海が木像を安置す。
この間に一戸川を渡ること凡30余回、奥に瀬尾沢(せのおさわ)不動堂あり。
ここより長坂三十里という長坂より劔峯(けんがみね)に至る。この所は左右みな千尋の深谷にて、路きわめて狭く鉄索(てつさく)を引いて躋攀(せいはん)する所なり。
岩窟の中に荒神の像を安ず(これより奥、岩窟の中に佛像を安置するもの多し。煩わしければ略す)。また空海が護摩壇の跡あり。
箸王子に至るこの所より山の頂なり。
七森(ななつもり)三森(みつもり)を過ぎて種子蒔(たねまき)祠あり。この辺自然に実る稲を生す。また䘀螽原(いなこはら)とて秋ごとにいなごを生する所あり。
峯伝して切合(きりあはせ)に至る。極入村よりの道と置賜郡岩倉村より登る路とここにて行逢う。故に名く。道の側に観音堂あり。3路1となり西行して駒原(こまはら)を経て山橋(さんけう)に至る。
怪岩(かいがん)高く峙ち険難劔峯に超絶す。岩にたよりて横行(おうこう)(わずか)に過ぎることを得る。岩窟の中に佛像を安ず。御秘所権現という。この辺朝霧深き時は人影旭日(きょくじつ)に映し空にうつりて五彩をなす。土人これを來迎とて渇仰(かつごう)す。
前坂(まいさか)を経れば一王子の社あり。これを本社とす。祭神「味鉏高彦根命」、二王子社祭神「下照姫命」、三王子社祭神「事代主命」、四王子社祭神「高光姫命」。東より西に並ぶ。
相去こと各1町計、末社蔵王神祠及び経堂・護摩堂あり。
10余町北の方に籠岩あり。
西南の方岩窟の中に八萬八千佛とて空海が作れる佛像多し。
頂きに五王子社あり。祭神「御井命」。これを合せて五社権現という。年代久遠にして鎮座の初詳ならず。行基・小角・空海なども登山せしという。
その後通塞(つうそく)(しば)にして山路遂に荒廃せしかば、天正18年(1590年)蒲生氏郷蓮花寺13世宥明をして再び路を開かしむ。文禄4年(1595年)に至てその功始て成しという。
毎年8月の節ごとに別当登山して祭禮を行う。山にあること30余日。その間に遠近より参詣する者多し。山中所々に小屋を構え食物をひさぎ往来の人を宿せしむ。村より凡2日程にて五社権現に至る。
一歳の中ただ8月のみにて、その他は登山する者なし。
会津郡中荒井組下荒井村蓮花寺これを司る。

御西権現社

祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
鎮座
五王子より西1里余、大日嶽の頂上岩窟の中にあり。奥院とす。
この所寛文の頃(1661年~1673年)までは人跡通せず夤縁(いんえん)すること能わざりしが、後漸々に開けて今は登山する者あり。

総社神社

祭神
鎮座 不明
村西にあり。
古物の神躰(しんたい)2軀あり。長8寸余。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。

寺院

寶昌寺

村中にあり。
曹洞宗如意山と號す。
慶長11年(1606年)宏菴という僧草創し、熱塩村示現寺9世凉菴を請て開山とし即示現寺の末山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。



余談
飯豊山は福島・山形・新潟の3国に跨る大山ですが、麓から頂上までの細い登山道沿いの土地は福島県に属します(御西岳避難小屋付近までが福島県)。飯豊神社の別当は中荒井組下荒井村の蓮花寺ですし昔から会津領だったのでしょう。
最終更新:2020年09月08日 22:20