耶麻郡吉田組真箇沢村

陸奥国 耶麻郡 吉田組 真箇沢(まかさは)
大日本地誌大系第32巻 160コマ目

村南に屈曲せる山沢あるにより昔は曲沢村という。寛文の頃(1661年~1673年)今の名に改むという。

府城の西北に当り行程9里15町。
家数23軒、東西1町・南北2町40間。
東は山により西は奥川に近く、北は宮野村に連なる。

東12町小綱木村の界に至る。その村まで15町。
西5町20間小山村に界ひ奥川を限りとす。その村まで5町40間。
南4町40間中町村の山に界ふ。その村は申(西南西)に当り6町20間余。

この組寛文の頃(1661年~1673年)まで真箇沢組と称してこの村に郷長あり。因て村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

山川

舘越山(たてのこしやま)

村南にあり。
高30丈。
南は中町村の山に連なる。

奥川

村西2町にあり。
広12間。
宮野村の境内より来り、未申(南西)に流るること10町中町村の方に注ぐ。

下沢(しものさわ)

村南1町にあり。
小綱木村の境内より来り、西に流るること15町奥川に入る。

関梁

村南1町にあり。
長8間・幅7尺。
中町村の通路、下沢に架す。

水利

大堰

宮野村の方より来り田地の養水とし中町村の方に注ぐ。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
鎮座 不明
村東1町余にあり。
鳥居あり。上三宮村高村能登が司なり。

山神社

祭神 山神?
相殿 伊豆神 2座
   山神  2座
草創 不明
村南2町にあり。
高村能登が司なり。

寺院

龍泉寺

村より未(南南西)の方3町にあり。
曹洞宗嶺雲山と號す。南青木組北青木村恵倫寺の末山なり。
文禄2年(1593年)麟應という僧越後国より来り、梨平村に1宇を営み千秋寺と號し住すること3年にて宮野村に移り、寛永19年(1642年)ここに移るという。
本尊観音客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘径2尺3寸、『正徳元年當寺五世施主樂勇』と彫付けあり(正徳元年:1711年)。銘あれども煩わしければ略す。



最終更新:2020年09月23日 21:19