耶麻郡吉田組滝坂村

陸奥国 耶麻郡 吉田組 滝坂(たきさか)
大日本地誌大系第32巻 163コマ目

府城の西北に当り行程10里8町。
家数27軒、東西1町11間・南北2町20間。
東は山に連なり西は揚川に傍ひ、南に田圃(たんぼ)あり。

東8町27間滑沢村の界に至る。その村まで14町50間余。
西50間河沼郡野沢組下野尻村に界ひ揚川を限りとす。
南9町42間柴崎村の界に至る。その村まで15町10間余。
北11町21間下町村の山界に至る。その村まで1里4町。

山川

曲坂(まかりさか)

村北10町余にあり。
登ること5町。
下町村にゆく道なり。

揚川

村西50間にあり。
広100間余。
柴崎村の境内より来り、20町余北に流れて杉山村の界に入る。
相伝う。昔この辺より野尻郷の辺まで水(たた)えて一大湖なりしが、いつの頃にかその水もれて大なる滝となり、後漸々にくづれ水(つい)えて川流(せんりゅう)となりしという。今両岸の山上に石紋水すれの如き大石数多あり。
今水のもるる所を銚子口とて、両岸より怪岩相束ね広8、9間水勢激流す。されば洪水あるごとに必ず田圃を浸し水災ありという。
またこの川の辺にて春秋ごとに所々床を構い出し、或は岩に傍て鮭・鱒をとることあり。俗にこの所をたきと唱ふ。

笹川

村南4町にあり。
広4間。
滑沢村の境内より来り、西に流るること7町揚川に入る。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 山神
   熊野宮
鎮座 不明
村より丑(北北東)の方2町余、山腰にあり。
鳥居あり。上三宮村高村能登が司なり。

古蹟

龍源寺跡

村西にあり。
曹洞宗板松山と號せり。
寛文6年(1666年)に廃す。


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    • 滝坂地区
    • 曲坂
      • 昔は東にある山道がもっと山の奥まで伸びており、下町村堂目村から原村と向かう木伏峠(この峠は地名として残っていますが地図上に道はありません)の方まで繋がっていたようです。現在、地理院地図を見たところ道は途切れているので、人が通れない道となってしまったのでしょう。
    • 揚川(阿賀川)
      • 銚子の口 - 対岸、下野尻側には観賞用の道が整備されています。紅葉の時期に訪れると良いかと。
    • 熊野宮? - 確認できず
      • 宮ノ前という地名があるので、現存するとしたらこの辺かと。
    • 龍源寺跡?


余談。
揚川の記に銚子口より野尻郷の辺(橋立近辺まで)大きな湖だったとありますが、会津風土記に山崎新湖の事は載っていてもこの辺が水没していたとの記載はありません。まさか1000万年前に会津盆地が海だった時の話ではないと思いますが。
最終更新:2020年09月30日 13:25