蒲原郡上條組太田村

越後国 蒲原郡 上條組 太田(おほた)
大日本地誌大系第34巻 48コマ目

府城の西に当り行程14里。
家数47軒、東西3町20間・南北2町。
東南は山に傍ひ四方田圃(たんぼ)なり。

村中に官より令せらるる掟条目の制札を懸く。

東2町30間石畠村の界に至る。その村まで5町20間。
西3町20間芹田村の界に至る。その村まで9町50間。
南12町小山村の界に至る。その村まで13町20間。
北6町野中・高清水両村の界に至る。野中村は丑(北北東)に当り10町40間余、高清水村は北に当り13町余。

山川

東林山(ひかしはやしやま)

村東4町にあり。
頂上まで1町計。
東は石畠村と峯を界ふ。

室谷川(西川)

俗に西川という。
村西2町にあり。
芹田村の境内より来り、北に流るること22町30間野中・高清水両村の界に入る。

粟瀬川

村より丑(北北東)の方4町にあり。
石畠村の境内より来り、戌(西北西)の方に流るること5町室谷川に注ぐ。

関梁

村より丑(北北東)の方6町、粟瀬川に架す。
野中村の条下に詳なり)

水利

村より巳(南南東)の方13町にあり。
周200間。
寛政7年(1795年)に築く。

神社

羽黒神社

祭神 羽黒神?
相殿 伊豆神
   日光神
   天神
   山王神
鎮座 不明
村東1町計、山上にあり。
石階を上ること200余級。
径1尺1寸の鰐口1口遺存(いそん)す。銘に『康永二二年八月十五日太田今羽黒全』とあり(北朝・康永4年:1345年)。
舊事雑考に亨禄3年(1530年)加藤伊勢その子隼人佐義種当社を草創せる由を注す。されども亨禄は康永の後180年余にあれば、亨禄3年再興せしを草創と誤伝えしなるべし)
鳥居あり。九島村齋藤丹後が司なり。

寺院

高徳寺

村東、山下にあり。
未怠山と號す。津川町密蔵院の末寺真言宗なり。
開基しれず。
永正元年(1504年)永安という比丘住す。
本尊弥陀客殿に安ず。


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    • 太田地区
    • 東林山?
      • この山の山頂を通る山道あり。高徳寺から広瀬神社を経由し山頂へ、そのまま南下すると月山山頂へと向かう道。
    • 室谷川 - 現在の常浪川
    • 粟瀬川 - 現在の柴倉川 
    • 広瀬神社(旧・羽黒神社)
      • GoogleMap上でマークしてある所はズレているようです。ストリートビューの登録があるこの地点に社が鎮座しています。
      • 旧羽黒神社が現在は広瀬神社になっている所は他にもあります(鹿瀬組日出谷村等)。
    • 高徳寺
    • 実相寺
    • 太田城跡
最終更新:2020年11月01日 20:10