府城の西に当り行程16里。
家数24軒、東西1町50間・南北4町50間、山中に住す。
東16町・北7町40間、共に
東山村の界に至る。その村は北に当り15町40間。
戌(西北西)の方5町41間
安用村の界に至る。その村まで9町40間余。
南8町50間
大尾村の界に至る。その村まで13町。
端村
滝頭新田
本村の南1里3町にあり。
家数5軒、東西56間・南北3町。
重山の間に散居す。
黒谷沢新田
本村より未(南南西)の方30町にあり。
家数2軒、東西45間・南北1町50間。
深山の間に散居す。
山川
戦場岩山
村より戌(西北西)の方7町にあり。
高30丈計。
滝頭山
村南1里24町計にあり。
頂上まで30町。
西は竜口・蛇塚・立石という諸山に連なる。
天正18年(1590年)山界をたてし時の文書1通この村に持伝う。その文如左。
遠山さと山之さかい之事
一 押手之むかいのさかをかきり たつの口へひけ申てたつのくちよりへひつかへひけ申候 へひつかより立石へひけ申 立石から松山之たつめ澤へひけ申 それからかつらこやへひけ申 鈴瀧をくたりにひけ申 東へ越候てまとうさわのまい之しやき岩を切にそれからすりはちくほのしみすしりをきりに それから柴倉路之つはき平石神を切てひけ申候 それよりめおつと杉をきりニ参候 かやうに小堺をほへ申候 かの瀧かしらと申て右名主二代目に松橋殿のと云人を切上申 松橋の屋敷十貳間とうけたまはり候
一 松橋殿の氏神拾貳をゆわい立申され かのなかとくは七間ニ作申され候と承り候 次ニはまつはし殿のひくわんにさるやはうと云者ニ雪をかゝせ候とうけたまはり候 やち田三十かり雪かき免にて候 松橋殿津川ゟさるかくをのほせ候て 七日町ためにおつらせ候とも承候
一 この遊人達歸り申さるゝ事ニは かやうに深山草深處へ入候てみかとにはまん世之かたみには何をかせんとて 女めんを一へん納られ候共承候へ さて沼澤の皆上に杉はやし候を 人に伐れしと申て松橋殿の披官に 與三郎と申者をかの杉の番ニ置申候と承候
一 かの沼沢と申はゆわれ候 田之みな口ニ水ほそく候間 土ニつき候ほとに 水いかいてぬまに成て候間かの沼を土の沼と申候
一 秋小屋口のいちのみな口のあさにゆわれの候 火打田と申候 かの田は立石のおみこてんニ御座候 朔日十五日ニ火を打候ておみこと立石へとない申され候間 火打田と申候 かやう成末代まての覺に候間如斯書置者也
右之通西方分に有之候間 山堺里さかいの書物押手え被取置候者也
天正拾八年二月廿日 平田左馬助(花押)
押手村名主
滝頭沢
源は
鳥屋・
蛇塚という両山より出、山間を屈曲して北に流れ端村滝頭新田の村中に至り、北に流るること10町計
大尾村の界に入る。
広2間。
この川に高5丈計の滝あり。
柴倉川
村南8町計にあり。
大尾村の境内より来り、戌(西北西)の方に流るること17町計
安用村の界に入る。
神社
白鬚神社
村より戌亥(北西)の方にあり。
鳥居あり。粟瀬村渡部宮内が司なり。
寺院
聖徳寺
村中にあり。
山號を福命山という。津川町新善光寺の末山浄土宗なり。
正中2年(1325年)源徳という僧開基し、弥陀の画像と聖徳太子の木像を本尊とし聖徳寺と名けしとぞ。
太子の像、長1尺3寸世。今に存す。
大永年中(1521年~1528年)大善という沙門再興す。
本尊弥陀客殿に安ず。
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- 押手地区
- 滝頭新田 - 不明(廃村?)
- 黒谷沢新田 - 不明
- 戦場岩山?
- 滝頭山?
- 滝頭沢 - 大尾不動滝のある渓流
- 白鬚神社 - 入口はこの辺です
- 聖徳寺 - 見当たらず
- 白髭神社 - たきがしら湿原の東の山中
余談。
明治の頃までは大尾不動滝の近くに神社があったようです。
最終更新:2020年10月30日 20:34