蒲原郡下條組川口村

越後国 蒲原郡 下條組 川口(かはくち)
大日本地誌大系第34巻 63コマ目

村南にて新谷川・中沢川の2流揚川に入る。因て名けしとぞ。

府城の西北に当り行程16里27町。
家数15軒、東西2町・南北55間。
南は揚川に近く三面は山に傍ふ。

丑寅(北東)の方8町五十沢村の界に至る。その村まで11町。
西1町吉津村に界ひ揚川を限りとす。その村は申(西南西)に当り11町。
南9町白崎村の山界に至る。その村まで17町20間。
北4町岡沢村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り8町10間。

山川

中沢山(なかのさはやま)

村より戌亥(北西)の方3里余にあり。
頂まで3里計。
西北の方五頭(いつつふり)という山につづく。

揚川

村南1町に在り。
白崎村の境内より来り、西に流るること2町計岡沢村の界に入る。
広2町。

新谷川(あらやかわ)

村東にあり。
五十沢村の境内より来り、南に流るること7町計揚川に入る。
広15間。

中沢川(なかのさはかわ)

村の未申(南西)の方1町にあり。
岡沢村の境内より来り、南に流るること4町揚川に入る。
広8間。

水利

村東3町にあり。
周55間。
元文中(1736年~1741年)築く。

神社

若宮八幡宮

祭神 若宮八幡?
相殿 稲荷神
   山神
   幸神
鎮座 不明
村西にあり。
鳥居あり。谷沢村佐久間能登これを司る。

寺院

地蔵堂

村西20間にあり。
造立の時代知らず。
地蔵、長1尺6寸の古佛なり。
村民の持なり。


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    • 川口地区
    • 中沢山?
      • 五頭山 - 現在の読み方は「ごずさん」、別名五月雨山です。となると、南東にある標高775mの山が中沢山となるのでしょうか?
    • 若宮八幡神社
    • 地蔵堂 - 見当たらず
      • 寺院明細帳には旧地名「東蒲原郡下條村大字上戸谷渡字長谷」に延命寺が管理する地蔵堂があるとのこと。

余談。
若宮八幡神社の祭神について神社明細帳をを参照してみます。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』No.52より

若宮八幡神社の主祭神は仁徳天皇なので大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)です。
2番目に記載してあるのは大山祇命(おおやまつみのみこと)で、相殿の山神に該当します。
3番目と4番目は八衢彦神(やちまたひこのかみ)八衢姫神(やちまたひめのかみ)で、5番目の久那斗神(くなどのかみ)と共に道祖神とされています。ちなみに3柱共に伊弉諾命が黄泉の国から戻った際に脱ぎ捨てた衣服のうちフンドシから生まれており、この時他の衣服から9柱、計12柱の神が生まれたとされています。参考元の久那斗神の記に「道の神として、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)猿田彦神(さるたひこのかみ)と同じとする場合も多い」とあります。なので相殿の幸神(主に猿田彦神を指します)に該当するのはこの3柱の神様でしょう。

となると、新編会津風土記編纂時期(文化6年)に奉られていた稲荷神がどこに行ってしまったのか気になる所です。同じ大字の白川(旧地名。三川村大字白川)の白崎村内にある山神社の境内に秋葉神社と稲荷神社が鎮座している(と神社明細帳に記載あり)そうです。おそらく、(文化6年から明治に入るまでの間に)この村から白崎村へと移転したのではないでしょうか?

参考:八衢比古神・八衢比売神/久那土神(玄松子の記憶)
最終更新:2020年11月07日 20:42
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