府城の西に当り行程17里。
家数54軒、東西1町・南北3町。
西北は川に近く東南に田圃あり。
東9町
白崎村の山界に至る。その村は辰(東南東)に当り18町。
西2町11間
岩谷村に界ひ揚川を限りとす。その村は戌(西北西)に当り10町40間余。
南4町
谷沢村の界に至る。その村まで1里余。
北3町44間
岡沢村に界ひ揚川を限りとす。その村まで12町20間余。
また
寅(東北東)の方8町
川口村に界ひ揚川を限りとす。その村まで11町。
南の方2町に家数2軒あり。
東西45間・南北17間。
三方は山に傍ひ北に田圃あり。
山川
揚川
村西2町20間にあり。
白崎村の境内より来り、西に折れ南に転じ
谷沢村の界に入る。
境内を流るること20町余。
西2町計に
岩谷村にゆく船渡あり。
琵琶渡と称す。
広2町10間。
水利
堤2
一は村東4町50間にあり。周70間。延寶中(1673年~1681年)築く。増沢堤という。
一は村南2町20間余にあり。周65間。寶暦2年(1752年)築く。坊沢堤という。
神社
若宮八幡宮
村南2町計、山麓にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。西村皆川下総が司なり。
寺院
真福寺
村南2町10間余にあり。
慈照山と號す。津川町密蔵院の末山真言宗なり。
開基詳ならず。
天文22年(1553年)新潟法亀院の裔孫秀誉という僧住すとす。
不動を本尊とし客殿に安ず。
寶物
三尊弥陀画像
余談。
この地区の南の方に坊沢堤があり、隣村の
谷沢村の北西には大坊新田(現在地は不明。おそらく磐越道三川IC付近?)があったそうです。坊という字に縁があるようですが、何か由来があるのでしょうか?
最終更新:2020年11月07日 21:18