蒲原郡下條組白崎村

越後国 蒲原郡 下條組 白崎(しろさき)
大日本地誌大系第34巻 63コマ目

府城の西北に当り行程16里9町。
家数35軒、東西1町10間・南北3町40間。
西は揚川に臨み三方は山に傍ふ。

東30町計大牧村の山に界ふ。
西9町吉津村の山界に至る。その村は戌(西北西)に当り18町。
南3町10間谷沢村の界に至る。その村まで25町。
北8町16間川口村の山界に至る。その村まで17町20間。

山川

龍峯(りようがみね)

村南にあり。
頂まで1町30間。
怪岩(そばだ)ち、揚川に臨む。

揚川

村西にあり。
谷沢村の境内より来り、北に流るること10町川口村の界に入る。

門目淵(もんのめふち)

村より戌亥(北西)の方4町余、揚川にあり。
旱魃の年雨乞する所なり。
相伝ふ。昔余五将軍平維茂岩谷村に在て病に臥し時、夫人の許に(夫人何れの所に居しということ伝えず。上條組安用村の境内に維茂夫人の住せしという所あり)「3月15日鶏いまだ鳴ざるに来り給え。(さも)なくば今世の対面なるべからず」といい遣ければ、とりあえずこの所まで来りしに海若(あまのしやく)鶏聲をなしければ、夫人維茂に逢べからざる嘆きここに身を投げて死す。因て今に至るまで村中鶏を畜わず。この村に生れたる物は、生涯鶏卵を食せず。
また7月7日の朝夫人の霊水上に縄を張り色々の衣裳を(さら)すことあり。これを見れば不吉の(きざし)なりとて男女他出(たしゅつ)せずという。
奇怪なることなれどもその伝えるままに注す。

土産

赤土

この村の境内に産するもの壁を塗るに宜し。

水利

村東1町にあり。
周132間。
元和年中(1615年~1624年)に築く。

神社

山神社

祭神 山神?
相殿 権現 地主神なり
   諏訪神
   山王神
創建 不明
村中にあり。
鳥居あり。谷沢村佐久間能登が司なり。

海神社

祭神 罔象女神(みつはのめのかみ)
鎮座 不明
村より戌亥(北西)の方4町、揚川の西岸岩をくぼめたる所に祭る。
土人この地を御前鼻(こせんがはな)という。
村民の持なり。

寺院

観音堂

村東1町40間にあり。
草創の時代知らず。
正観音を安ず。長2尺の木佛なり。
村民の持なり。


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    • 白崎地区
    • 龍峯?
    • 門目淵 - 不明
      • 風土記本文を見る限り、維茂夫人が身を投げたという門目淵と御前ヶ鼻(海神社が鎮座)は別の場所のようです。
    • 山神社
      • 神社明細帳・阿賀町を見ると、元の住所は三川村大字白川字野田、祭神は大山祇命で、相殿神は健御名方命(たけみなかたのみこと)事解男命(ことさかのをのみこと)大山咋命(おおやまくいのかみ)です。境内には秋葉神社(祭神は迦具土神(かぐつちのかみ))と稲荷神社(祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと))があるそうです。
        ※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』No.51より
    • 海神社 - 不明
      • 神社明細帳・阿賀町に海神社の記載はありません。同じ三川村大字白川にある若宮八幡神社の祭神に八衢姫神(やちまたひめのかみ)という女神の名はありますが罔象女神とは違う神様です(参考:玄松子の記憶)。どこに行ってしまったのでしょう。
      • 風土記本文に「揚川の西岸岩をくぼめたる所」の地を御前鼻というそうなので、この辺りの淵が御前ヶ鼻でしょう。
    • 能静観音
  • イザベラ・バードの阿賀流域行路を辿る
    • 記事の中に御前ヶ鼻の写真が載っています。


余談。
山神社の相殿神について。
健御名方命は主に諏訪神社で奉られている神様です。
事解男命は伊弉諾命が黄泉の国から戻る際に吐いた唾を払った際に生まれ、事態を収拾させる・魔を払う神様と言われています。
大山咋命は大山にクイを打つの意味から山神様さまとして主に山王神社に奉られています。
となると、地主神の権現とは事解男命の事ですね。
最終更新:2020年11月07日 19:48
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