蒲原郡下條組五十沢村

越後国 蒲原郡 下條組 五十沢(いかさは)
大日本地誌大系第34巻 71コマ目

この村もとは3町計南にあり。安永3年(1774年)の洪水に民家を漂流す。因てここに移るという。

府城の西北に当り行程18里。
家数25軒、東西1町・南北4町。
山中に住し南は川に傍ひ北に田畝あり。

また戌亥(北西)の方3町計に家数18軒あり。
東西30間・南北4町、山麓に散居す。
安永中(1772年~1781年)の洪水に移るという。

東35町計大牧村の山に界ふ。
西8町岡沢村の界に至る。その村まで15町。
南3町川口村の界に至る。その村は未申(南西)に当り11町。
北5町細越村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り7町30間余。

この村の肝煎悦五郎というもの蒲生氏より与ふる文書3通を蔵む。その文如左(※略)


山川

白髭山(しらひけやま)

村東1里余にあり。
頂まで20町。
東は京瀬村と峯を界ふ。

八女山(やおとめやま)

村西7町にあり。
岩山にて峯相峙ち、一を女両留(めりやうとめ)といい、一を男両留(おりやうとめ)という。

大谷山(おほたにやま)

村の北の方、細越新谷両村の境内を隔て2里18町にあり。
頂まで20町余。
元文の頃(1736年~1741年)までは銀を多く産し、小屋20軒計あり。今は衰微(すいび)せり。
北は綱木村の山に界ふ。

新谷川(あらやかわ)

村東にあり。
細越の境内より来り、南に流るること14町川口村の界に入る。
広20間余。
鮎・鮭・鱒の類を産す。

神社

若宮八幡宮

祭神 若宮八幡?
相殿 稲荷神
   諏訪神
   山神
建立 文應元年(1260年)
村北4町、山腰にあり。
文應元年の建立といい伝う。
鳥居幣殿拝殿あり。西村皆川下総これを司る。

寺院

地福寺

村中にあり。
浄土宗米澤山と號す。津川町新善光寺の末山なり。
文應元年(1260年)天台の僧吉常というもの、野州*1より来て村北1町余に茅庵を結び住せしに、或夜の夢に弥陀を拝せしとてその形を画し、寺をここに移し彼画像を本尊とす。
慶長13年(1608年)三哲という僧再興し新善光寺に属すという。
本尊弥陀客殿に安ず。







蛇足。
悦五郎が持つ蒲生氏の古文書に興味はあるのですが、何分長いもので今回は略しました。後日時間を取って入力したいと思っています。
最終更新:2020年11月18日 20:11

*1 下野国。現在の栃木県