この村もと下組村と1村にて、総称を下條という。元禄中(1688年~1704年)分れて別村となるという。
小千谷陣屋の南に当り行程3里33町。
家数9軒、東西38間・南北50間。
東は山に近く西に信濃川あり。
東25町40間
下條下組村の山に界ふ。
西3町15間・南1町2間、共に
中新田村の界に至る。その村は未(南南西)に当り5町40間余。
北15町20間
下條下組村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り17町30間余。
枝村
原
本村の巳(南南東)の方2町にあり。
家数16軒、東西3町32間・南北1町2間。
西は
中新田村の枝村原に続く。
反目
本村の辰(東南東)の方7町50間余にあり。
家数25軒、東西1町16間・南北1町20間、散居す。
東は山に倚る。
岩野
本村の丑(北北東)の方50間余にあり。
家数16軒、東西58間・南北1町24間。
北は中新田村の枝村北林に続く。
上為永
本村の丑(北北東)の方4町余にあり。
家数14軒、東西1町28間・南北52間。
東は山に倚り西は下為永に続く。
ここより1町余南に家数4軒あり。東西20間・南北1町、南は北林に続く。
下為永
本村の北4町余にあり。
家数18軒、東西2町・南北58間。
東は上為永に続き
上新田村の枝村為永林に続く。
神社
天満宮
枝村原の南にあり。
村民の持なり。
寺院
薬師堂
村より2町10間余丑(北北東)の方にあり。
創立の年月詳ならず。
修験薬師寺これを司る。
観音堂
村北11町余にあり。
草創の時代しれず。
村民の持なり。
古蹟
城跡
村より辰(東南東)の方25町にあり。
雑木山にて、字を二田平という。
周廻20町余。
天正の頃(1573年~1593年)下條治部少輔住せし跡という。
- Google Map
- 下條上組地区
- 原地区 - 中新田の原との境界が判断できず。
- 山際地区(反目?)
- 岩野地区
- 為永地区(上為永)- 上新田の為永林と合併?
- 下為永? - おそらく下条中学校付近だったのではないかと。
- 天満宮(原)
- 薬師堂
- 岩野にあった薬師堂は大蔵院へと合併(中新田村の余談の所も参照)
- 観音堂?
- 城跡?
- 近く(中新田)に下條治部少輔の廿日城があったので、こちらは(あるとしても)居館ではないかと。
- その他
余談。
この辺は上新田・中新田・下條上組の各村々の地界がごちゃ混ぜになっているところなので、どこからどこまでが何村の枝村だったのかは判断つきません。特に岩野という地名は他の資料では中新田に属する地としても登場するので、元は2つの村に跨っていたのかもしれません。
中新田の枝村岩野の地にある岩野神社
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳21-3』No.81より
ちなみにこの岩野神社、元は十二社(祭神は大山祇命)で、明治35年11月24日に上組の岩野にあった八幡社(祭神は誉田別尊)を合併して今の社名に変更したとの記載があります。
昭和2年4月12日に中新田への移転し、昭和3年7月13日に薬師堂を合併したとの記載のある大蔵院
※越後佐渡デジタルライブラリー『寺院明細帳55-2』No.19より
蛇足。
神社明細帳(請求記号21-3)には上組に赤城社(祭神は天照皇大神)の登録があります(旧住所は三好村大字上組字山根(萱峰?))。地理院地図には神社のマークがありますがストリートビューが近くまで通っておらず確認できません…。
(ちなみに
この辺です)
最終更新:2020年12月16日 10:04