この村、承應の頃(1652年~1655年)大豆渡村より分かれて別村となりし。
府城の南に当り行程12里9町。
家数28軒、東西1町30間・南北40間。
北は桧原川に臨み三方田圃なり。
東・南、共に村際にて
大豆渡村に界ふ。その村は東に当り2町。
西13町30間
針生村の界に至る。その村まで26町。
北9町
大豆渡村の山に界ふ。
山川
檜沢川
村北1町にあり。
針生村の境内より来り、東に流るること13町、
大豆渡村の界に入る。
黒沢川
源は
大豆渡村の境内より出て、山間を辰巳(南東)の方に流るること2里計、村北にて桧原川に注ぐ。
広5間。
関梁
橋2
一は村より戌亥(北西)の方1町30間、大芦村にゆく路にあり。長12間。
一は村西2町にあり。隣村の通路なり。長12間。
共に檜沢川に架す土橋なり。
墳墓
古墳
村西1町余にあり。
高4尺計。
相伝て河原田大善が墓なりと云う。
傍に大善と共に討死せしものの墓なりとて小墳一あり。
最終更新:2020年03月29日 19:31