府城の南に当り行程12里6町余。
家数64軒、東西3町・南北2町30間。
北は檜澤川に臨み三方田圃なり。
また丑寅の方11町に家居1軒あり。
東9町
金井沢村に隣りその村際を界とす。
西2町
黒沢新田村に隣りその村際を界とす。
南1里1町
河島組藤生村に界ひ木檜峠の峯を限りとす。その村まで2里1町。
北1里25町
大沼郡野尻組大芦村に界ひ
転石峠を限りとす。その村まで3里13町。
山川
黒沢山
村より戌亥(北西)の方1里余にあり。
頂まで18町計。
西南は共に針生村の山に続き、戌亥(北西)の方は大芦村に属し、共に峯と界とす。
この山の西を転石峠と云い
大芦村へ通る路なり。
小塩沢山
黒沢山の東に並ぶ。
頂まで18町計。
北は大芦村の山に連なり、東は金井沢村に属す。
大岩山
村西5町余にあり。
頂まで5町計。
巉巌峙ち檜沢川その麓を流る。
天正中(1573年~1593年)田島の城主長沼盛秀、伊南の河原田盛次と戦いし時、盛次が支族河原田大善某という者ここに拠て敵を防ぎ遂に戦死せしとぞ。因てこの山を岩館ともいう。
今黒沢新田村の境内に大善及び従卒の墓なりとて古墳2あり。
高べろ山
村北18町にあり。
登ること6町。
雑樹多し。
小檜峠
村南1里1町にあり。
藤生村にゆく路なり。
登ること5町余。頂を界とす。
檜沢川
村北1町余にあり。
黒沢新田村の界より来り、東に流るること15町余、
金井沢村の境内に入る。
原野
秣場
村の戌亥(北西)の方15町にあり。
東西20町・南北23町。
北黒沢原と云う。
関梁
橋
村より丑寅(北東)の方、隣村の通路檜沢川に架す。
長12間、土橋なり。
水利
関
村西にて檜沢川を引き田地に灌ぎ
金井沢村の方に注ぐ。
神社
龍口神社
祭神 |
罔象女神 |
相殿 |
三島神 |
|
若宮八幡 |
鎮座 |
不明 |
村北4町余に在り。
鳥居拝殿あり。
神職 君島大和
金井沢村に居住す。
8世の祖を忠太夫義國といい、寛文中(1661年~1673年)神職を司り、相続いて今の大和充豫に至るという。
寺院
南泉寺
村北11町、山麓にあり。
松見山と號す。浄土真宗高田派伊勢国一身田専修寺の末山なり
開基の年代詳ならず。
本尊弥陀客殿に安ず。
鐘楼門あり。鐘の径2尺5寸、『奥州會津郡南之山大豆渡村南泉寺什宝寛政六寅年四月』と彫付けあり。銘あれども略す。
最終更新:2020年04月26日 04:18