府城の西南に当り行程20里5町。
家数15軒、東西32間・南北1町20間。
山中に住し東に水引川あり。
東9町計・北6町10間、共に
湯入村の山界に至る。その村は北に当り14町。
西30町計
木賊村の山に界ふ。
南2里18町日光神領下野国都賀郡高手原村に界ひ枯木峠を限りとす。
山川
田代山
村より未申(南西)の方2里20町計にあり(本郡の条下に詳なり)
大毛無山
村より辰巳(南東)の方1里20町にあり。
頂上まで1里30町計。高手原村と峯を界ふ。
姫松・黒檜・桂多し。
枯木峠
村南1里余にあり。
登ること1里18町計、ここを越えて高手原村に往く。
道殊に嶮しく牛馬を通ぜず。
高手原村と峯を界ふ。
水引川
村東1町余にあり。
水源3あり。
一は田代山より出て東に流るること1里20町計。
伯母又沢という。
一は大毛無山の中、
島田という所より出て、北に流るること1里計。
新道沢という。
この2水と、
田代瀬沢というここより出る渓水と、
日詰滝(高2丈余)という所にて共に合し水引川となり、北に流るること1里余
湯入村の界に入る。
神社
山神社
村の戌亥(北西)の方にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
枯木峠について
現在水引から日光方面に向かう道は田代山峠を超える県道350号線です。名の通り枯木峠ではありません。
風土記の記述では枯木峠を越えた先は高手原村(日光市
高手地区)となっており、枯木峠は県道350号とは別な道のようですが現在の地図を見てもなにもありません。
明治41年(1908年)の旅行地図「
最近會津旅行地圖」には「枯木峠」が載っているので、どうにか通る道があるはずなのですが。
枯木道峠
この道は、高手と花和から北側の山道を登り、山の神の峰に出て峰筋を北上し、石休道から楢の木休道、そして悪志沢と木の沢の峰筋に出て、この峰を北上して枯木山の麓を通り、岩代國湯の花温泉に出る峠道であり、私の伯母が若いときこの山道を通って、湯の花から里帰りした峠道でもあった。
追記:平凡社「日本歴史地名大系」より引用
枯木峠
かれきとうげ
水引の南、枯木山(一七五五・四メートル)の鞍部を越える峠で、「会津風土記」間道の項に「枯木越」とみえ、馬は通れなかったが下野国高手原(現栃木県栗山村)を経て同国今市に通じていた。立岩郷から下野へ至る最も近い通路であった。この地域が幕府領で会津藩の預地であった寛文三年(一六六三)に古町組山口村(現南郷村)の百姓が郡奉行と郷頭の非分を江戸へ訴え、取調の結果処罰された事件があった。百姓たちは当峠を越えて江戸へ出たが、「家世実紀」に「先規留置候間道枯木越を罷通候段、其咎遁無之候」「枯木越脇道を越江戸へ登」とあり、通行禁止の枯木越を通ったことも罪の一つに加えられている。
最終更新:2025年07月03日 23:22