会津郡熨斗戸組木賊村

陸奥国 会津郡 熨斗戸組 木賊(とくさ)
大日本地誌大系第31巻 118コマ目

この村に木賊*1ある(ゆえ)村名これに因りしと云う。

府城の西南に当り行程20里21町。
家数20軒、東西1町・南北3町。
ここより南3町に家数2軒あり。
東西20間・南北20間、湯上(ゆのうへ)と云う。
共に山間に住し東に西根山あり。

東25町貝原村の山界に至る。その村は丑寅(北東)に当り1里25町。
西2里計古町組大桃村の山に界ふ。
南16町河衣村の界に至る。その村まで20町20間余。
北16町30間小高林村の界に至る。その村まで18町14間。
また未申(南西)の方1里26町古町組檜枝岐村の山界に至る。その村まで3里16町。

小名

新屋敷(あらやしき)

本村の北7町にあり。
家数3軒、東西1町・南北2町。
山間に散居し西に西根川あり。

山川

帝釈山(たいしやくやま)

村南3里、河衣村の境内を隔て数山の奥にあり。
(本郡の条下に詳なり)

田代山

村より辰巳(南東)の方2里18町にあり。
(本郡の条下に詳なり)。

小綱木峠(こつなきとうげ)

村より未申(南西)の方1里10町にあり。
登ること16町。
ここを越えて檜枝岐村に往く。その村と峯を界ふ。
黒檜、雑木多し。

西根川

村東1町余にあり。
源を帝釈山より発し小屋川(こやかわ)黒石川(くろいしかわ)来り注ぎ、河衣村の境内を過ぎ北に流れ、赤沢を受け小高林村の界に入る。
境内を経こと3里余。

温泉

村南3町、西根川西岸にあり。
(いわ)を穿て湯槽とす。温泉その間より湧き出づ。
よく癬瘡に功ありとて来り浴する者多し。
傍に屋を構て浴客を待つ。

関梁

橋2

一を黒石川橋という。村南10町余黒石川に架す。長5間・幅1間。
一を下橋という。村北2町西根川に架す。長8間の丸木橋なり。
共に隣村の通路とす。

神社

熊野宮

祭神 熊野神?
鎮座 不明
小名・新屋敷の戌亥(北西)の方3町余、山の中腹にあり。
縁起に、明應6年(1497年)9月29日本村七郎兵衛秀勝という者御影三體を納む(その御影今はなし)。その後亨祿4年(1531年)3月15日大旦那左衛門四郎政高・田瀬門次郎大夫という者再興せしという(寛文中(1661年~1673年)まで長江荘と彫付し鰐口ありしとぞ)。
祭體7月15日、神輿渡御(みこしとぎょ)*2の式あり。

石鳥居

両柱の間9尺

隨神門

2間余に1間

本社

2間4面、東向き。
『南山第一木賊室山』と云う額あり。卜部良連卿の筆なり。
神體(しんたい)は二の霊石(れいせき)にて年々に長ずとぞ。
里人の崇敬異にして神官と(いえども)まのあたり拝することを得ず。

拝殿

3間半に2間半

寶物

八葉鏡 1面。径8寸。

末社 荒人神社

祭神 不明
本社の左にあり。祭神詳ならず。

神職 星安藝

寛文中(1661年~1673年)荘太輔義勝という者あり。
今の安藝義致が7世の祖なりという。

熊野宮

祭神 熊野宮?
鎮座 不明
新屋敷の北3町にあり。
寛文中(1661年~1673年)まで『奉懸信心國森敬白文安四丁卯年三月吉日』(文安4年:1447年)と彫付し鰐口ありしと云う。
石を神體とす。神威を畏るること上に同じ。
鳥居あり。星安藝が司なり。

温泉神社

祭神 温泉神?
鎮座 不明
温泉の上にあり。
村民の持なり

山神社

祭神 山神?
創設 不明
村より戌亥(北西)の方1町にあり。
鳥居あり。
村民の持なり



小綱木峠(小繋峠)

現在は小峠から見通川に抜けるトンネルがあるようですが、明治の頃は山越えのルートがあり小繋峠と呼んでいたようです。
最終更新:2020年03月30日 21:08
添付ファイル

*1 とくさ科の常緑多年生植物。節の多い管状の、堅くざらざらした茎が直立する

*2 神輿が練り歩き、沿道の人々の幸福を祈願する神事