府城の西南に当り行程18里26町。
家数24軒、東西1町・南北1町50間、東は山に連なり西は檜枝岐川に傍ひ南北田圃なり。
東3町・南2町、共に
山口村の界に至る。その村は未(南南西)に当り26町。
西2町
鴇巣村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は未申(南西)に当り4町。
北7町
和泉田組界村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り9町。
山川
檜枝岐川
村西2町にあり。
山口村の境内より来り、北に流るること14町余、
界村の界に入る。
神社
稲荷神社
村より丑(北北東)の方3町にあり。
鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。
愛宕神社
村より巳(南南東)の方3町岩山の頂にあり。
この地眺望やや広く西北の麓に和泉田組の諸村碁布し檜枝岐川の長流あり。最勝愛すべし。
木伏村蓮華院司る。
寺院
安照寺
村北8町にあり。
来迎山と號す。
伊勢国高田山専修寺の末寺浄土真宗なり。
草創の年代詳ならず。
天文2年(1533年)中興せり。
客殿
7間に6間半、西向。
本尊弥陀。
寶物
六字名號 1幅。親鸞筆。
聖徳太子画像 1幅。同上。
彌陀畵像 1幅。筆者を知らず。古畵なり。
墳墓
古墓
村南50間にあり。
石塔、高5尺・幅1尺8寸。
『覺宗院清巌浄相芳山大居士弘治元乙卯七月十六日馬場越中守藤原綱茂』と彫付けあり。
後人の建てしものと見ゆ
※弘治元年=1555年
古墳
館跡
村中にあり。
東西30間・南北35間。
永正の頃(1504年~1521年)、馬場綱茂住せしと云う。
参照
外部リンク等
- Google Map
- 参照
- 宮床 - 南郷村史 第5巻 (民俗編)
- 宮床(みやとこ) - 南郷村地名由来調査報告書 : 山間部 ふるさと南郷・山の散歩道
地名の由来
(村史より)
昔は、稲葉村と呼ばれていたが、治承四年(1180)以仁王がお通りになったとき、針生大峠を越えてきたので、稲葉村小三郎宅にお休みになられたが、旅の疲れからしばしの間床に横たわりお休みになったので、後に村人が宮が床につかれたというところから宮床村に改めたという。宮床の村上に館跡があり、永正(1504年代)のころ馬場綱茂がこの館に住んでいたといわれ、村の南に弘治元年(1555)七月十六日没、馬場越中守藤原綱茂の墓がある。昔はこの墓地の東を通り愛宕山に登り裏から峠道を通って北原に通ずる道があった。
宮床温泉
閉館とのこと…
2016年2月13日付けの
SNSの投稿にて確認
最終更新:2025年09月02日 21:12