寶積寺


山號と如意山という。大沼郡冑組尾岐窪村龍門寺の末山曹洞宗なり。
縁起を按ずるに、康暦元年(1379年)葦名直盛会津に来りし後ここに一寺を創建し数村の田地を寄付す。
天正の頃(1573年~1593年)曹洞の徒住せしが同巳丑の乱(1589年)に逐電し、蒲生氏入部の時臨済の徒陽春という僧住す。氏郷の子秀行封を宇都宮に遷さるるに及で陽春従てその地に移れり。
秀行再びこの地を領せし時黙岑という僧住し今の宗となれり。その後忠郷の母堂殊に崇敬あり。薩摩守忠吉朝臣の為に当寺にて法事を執行し、法衣洪鐘等を寄付ありしという。

客殿

11間半に6間、西向。
如意輪観音を本尊とす。
『寶積寺殿金嶺尊公大姉』という位牌あり。
舊事雑考にこの位牌は葦名氏の先妣(せんぴ)なるべしとあり。
また鐘1口を懸く。
径2尺4寸。銘に『南閻浮提大日本國奥州會津大沼郡若松郷願主當郡太守松平下野守阿孃源女性為御願圓満寄進焉仰願因茲好主功徳現世安穏而門葉榮天下寧謐後生善處而來世成佛慶長十九甲寅年菊吉日前永平如意輪山寶積寺住持比丘才菴叟代鑄物師長谷川勝左衛門』とあり。

狐塚

境内の東にあり。
石塔、高1尺3寸。
相伝う、慶長の頃(1596年~1615年)いつくともなく1人の老僧来り、寺中に居座り勤行怠ることなく常に喜怒の色(あらわ)さず。この僧年久く住すれども形容もとの如し。或時桃花の盛を見て顔色常ならず。人怪み問うに老僧言いけるは「吾この寺に入て門を出ざること70余年、今世縁已に尽きたり。滅後異相を現することあらん」とて息絶え老狐の姿を現せし故、その屍をここに葬りき。
寛文5年(1665年)のことなりという。

寶物

釈迦涅槃像

1通。休雪筆。
蒲生忠郷寄付『元和八壬戌年八月三日』と書付あり。

袈裟

1頂。

爪折立傘

1本

香爐台

1箇。

以上3品忠郷母堂陽壽院寄付。

稲荷神社

境内にあり。
鳥居あり。