会津郡楢原組小池村

陸奥国 会津郡 楢原組 小池(こいけ)
大日本地誌大系第31巻 97コマ目

村西1町余に池あり。故に名くという。

府城の南に当り行程7里18町。
家数18軒、東西30間・南北2町、下野街道を挟み山中に住す。

東1町30間・南6町、共に板倉村の界に至る。その村は東に当り3町。
西26町計安張村の山に界ふ。
北4町倉谷村の界に至る。その村まで6町。

山川

愛宕(あたこ)

村より未申(南西)の方3町にあり。
西南は安張村の山に連なる。

戸石川

村より丑寅の方1町にあり。
安張村の境内より来り、東に流るること28町、倉谷村の界に入る。

関梁

村北4町にあり。
下野街道戸石川に架す。
長10間、土橋なり。

神社

伊勢宮

祭神 伊勢宮?
相殿 山神
   日天神
   鬼渡神
鎮座 不明
村西4町にあり。
鳥居あり。楢原村星和泉が司なり。


村名の由来:
村西に池があったため。また、甲州武田氏滅亡後の天正十八年(1590)蒲生氏郷が会津を領した時、家臣の外池信濃守は楢原郷に蟄居した地を小池と名づけたという説もある。
明治8年に成岡村、萩原村、板倉村、小池村、倉谷村、水抜村が合併し栄富村となる。

古地図

※地理院地図(大正2年測図/昭和8年要部修正測図)
最終更新:2025年07月11日 21:21
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