会津郡楢原組倉谷村

陸奥国 会津郡 楢原組 倉谷村
大日本地誌大系第31巻 97コマ目

この村もと串谷村という。
治承中(1177年~1181年)高倉宮通り給いしより倉谷と改むという。

府城の南に当り行程7里17町。
家数26軒、東西2町・南北1町。
西は水抜村に続き、南は戸石川に()ひ、北は山に倚り、東に田圃(たんぼ)あり。

下野街道駅所なり。
村中に官より令せらるる掟条目の制札を懸く。
大内村駅より2里2町ここに継ぎ、ここより32町楢原村駅に継ぐ。

東6町板倉村に界ふ。
西16町安張村の界に至る。その村まで20町。
南2町小池村の界に至る。その村まで6町。
北18町桜山村の界に至る。その村まで26町。

山川

戸石川

村南30間にあり。
安張村の境内より水抜村の地を過ぎ来り、東に流れて小池村の界に入る。
境内を経ること26町。

関梁

村より辰巳(南東)の方2町、下野街道にあり。
戸石川に架す(小池村の条下に詳なり)。

原野

道祖神原

村北18町にあり。
東西3町余・南北8町余の秣場なり。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 伊勢宮
   稲荷神
   山神
鎮座 不明
村の丑寅(北東)の方2町にあり。
鳥居拝殿あり。水抜村星河内これを司る。

幸神社

祭神 猿田彦神
鎮座 不明
村北18町にあり。
鳥居あり。星河内が司なり。

湯殿神社

祭神 青湯山主命
鎮座 不明  
村北2町にあり。
村民の持なり。

寺院

松庵寺

村北にあり。
曹洞宗高倉山と號す。
何の頃にか存境という僧越州より来り開基す。
慶安2年(1649年)田島組田島村徳昌寺の末山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。


村名の遷移:
串谷村→高倉宮以仁王が大内の里に御潜行の時倉谷村三五郎の案内で、松庵寺にて休憩された。その時串谷村を倉谷村と改められた。
明治八年の合併で盛岡村・萩原村・板倉村・小池村・倉谷村・水抜村が合併し栄富村となる。
倉谷村と水抜村が同じ地区扱いとなって倉水と呼ばれるようになった?

水抜・倉谷宿復元図


道祖神原について(町史より)

今は雑木林となっている。その中に道祖神祠があり、この祠を囲むように土塁が積んである通称作場(つくらいば)という。駑者馬の荷を積み替えたり休憩したところという。旧街道の面影を残す唯一の場所である。この秣場一帯を沼の平とも云うが戊辰戦争の折に戦闘が展開された所であるという。
最終更新:2025年07月11日 21:50
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