※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より
上町の北にて通数条あり、総てこれを滝沢町という。滝沢村に往来する道故この名あり。
この1区、多くは組町にて外に滝沢町と称し商人の家居1町あり(持筒町中村等の条下に滝沢町と註せるものこれを指す)。
甲賀町の末に続き北の方東黒川上河原分の田圃に通す。
長2町10間余・幅3間、家数8軒。
寺院
久福寺
この通の西頬にあり。
長照山と號す。佐州蓮華王山妙宣寺の末寺法華宗なり。
慶長9年(1604年)日圓という僧開基す。
三十番神社
境内にあり。
妙法寺
智光寺
この通の東頬にあり。
金剛山と號す。江戸新智恩寺の末寺浄土宗なり。
慶長17年(1612年)領主忠郷の臣河野備中某岌穆という僧をしてこの寺を開かしめき。
本尊弥陀客殿に安ず。
龍眼寺
この通の北端西頬にあり。
貴光山と號す。
五之町高巖寺の末寺浄土宗なり。
永禄2年(1559年)貞穆という僧草創すといい伝う。
本尊見た客殿に安ず。
寶物
曼荼羅
1幅。当時23世霊遵大和国当麻寺の全図を摸せる処にて、表装ともに長4間余・幅2間半余、霊遵もと佛画を善し図する所当寺に伝はれるもの猶100有余幅に及べり。この曼荼羅はその中の一にて工を積むこと凡20余年を閲て経営完く備わりしという
光彩甚密なり。
涅槃画
1幅。これも霊遵絵く処にて鳥獣蟲蟻みな名號をもて図せり。
千手観音木造
1軀。この木像は本州安達郡大倉山千體佛の一にて霊遵が時不測の霊夢に因り彼地より贈り来る処という。
榧の木像にて長3尺7寸。
処々虧損し、また面は剥落して耳目の形さだかならず。
厨子に納て客殿に安ず。
妙法寺前通より西に折れ南に廻り木戸千軒道に出つ。
長2町12間・幅9尺、家数42軒。
角場
この丁の北頬にあり(八角分の地なり)
妙法寺前通の南の方より東に廻り北に折れ一番町に通す。
長1町余・幅9尺余、家数18軒。
妙法寺前通の中程より東に折れ持筒町に出る通なり。
長1町10間余・幅3間半、家数25軒。
(西黒川石堂分の地雑れり)
一番丁の北に並び、長1町13間・幅9尺、家数25軒。
二番丁の北に並び、長1町余・幅9尺、家数22軒。
三番丁の北に並び、長50間余・幅9尺、家数19軒。
この丁の東端より南に折れ持筒町に出る小路あり。
角場
この丁の東端にあり。
最終更新:2020年03月01日 06:56