会津郡松川組野際新田村

陸奥国 会津郡 松川組 野際新田(のきはしんてん)
大日本地誌大系第31巻 91コマ目


この村は元禄8年(1695年)宇都宮街道発けしきとき新たに設けし駅所にて、田地なくただ人馬をつき立てることを(なりわい)とす。その後年を経て民家やや多くなり南倉沢・音金の両村入逢の地を新墾し、今は一村となれり。

府城の南に当り、行程12里。
家数10軒、東西1町20間・南北45間。
山の半腹に住す。

松川村駅より2里ここに継ぎ、ここより3里下野国那須郡三斗小屋駅に継ぐ。
四方みな南倉沢・音金両村の山林・田圃(たんぼ)(まじ)はり、境界分ちがたし。

南倉沢村は北に当り、1里8町。
音金村は西に当り1里5町。

関梁

野際口

村より1町辰巳(南東)の方にあり。
ここより大峠を(こえ)て那須郡に通ず。
木戸門を設く。番戍(ばんじゅ)を置き往来を察せしむ。



駒返坂について

野際新田より大峠方面に街道を進んでいくと、途中に駒返坂の説明板(ストリートビュー)があります。

奥州駒返坂について
会津藩は元禄8年(1695)松川通り(会津中街道)を開削(かいさく)した。天和3年(1693)9月1日、日光大地震により五十里湖が出現し、南山通り(会津西街道)での参勤や廻米(かいまい)が困難になったためである。
その道筋は、若松・面川・香塩・小塩・桑原・小出・弥五島・松川・野際・三斗小屋・板室・百村・高林・横林・上石神・山田・矢板・川崎・乙畑・氏家に至る31町52間の街道である。
旧道は現道よりも東側に位置している。野際宿からつづら折りの坂を登り切り、下る坂を「奥州駒返坂」と呼んでいた。ここには元禄8年銘「奥州駒返坂」の碑があり往時を偲ぶことができる。
険阻な大峠を越えるため、時の藩主松平正容公もこの場所で駒を返し徒歩で峠を越えたと伝えられる。
                 下郷町

道を先に進むと石碑があるらしいのですが、確認できませんでした。