府城の西に当り行程5里15町。
家数2軒、東西40間・南北19間、
冑組大岩村の境内明神嶽の麓に住す。
両山の間に介り南は魚留川に臨む。
大岩村は寅(東北東)に当り1里18町。
この村は
大岩・
沢中・
鳥屋3村の境内を開作し、この村に隷せる地なし。
神社
山神社
村北20間山麓にあり。
村民の持なり。
参照
外部リンク等
- Google Map
- 九々明村 - 廃村。リンク先はおおよその場所
- 山神社?
- 参考
九々明村
(町史 215コマ目)
九々明村については、くわしいことはわからないが、もと冑中にいたのが移住したという伝承がある。文禄三年(1594)にはすでに村は成立していたので、近世初頭には移住していたことになるが、『新編会津風土記』には、
「此村は大岩・沢中・鳥屋三村の境内を開作し、此村に隷せる地なし」
とあって、三村による境界が確定した後に、村が成立したことを示している。
(町史 218コマ目)
江戸時代を通じて経済的に高田方面との結びつきが強く、九々明は狭間峠の要衝をなしていたが、今日では廃村になってしまった。
地名は「明神ヶ岳の九々明登山口」として残っているようです。
参考:
明神ヶ岳縦走 - 夫婦二人の山歩き
最終更新:2025年10月11日 21:47