この村は萬治年中(1658年~1661年)より沼沢村の沼の水を引きて漸々に開発し、寛文年中(1661年~1673年)に建て1村とす。
府城の西に当り行程11里19町。
家数8軒、東西2町・南北20間。南は山に倚り三方田畝なり。
東8町
沼沢村の界に至る。その村は南に当り19町。
西4町・南3町、共に
大栗山村の界に至る。その村は西に当り19町。
北5町
水沼村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り8町。
水利
堰
村より辰(東南東)の方にて沼沢沼の水を引き田地の用水とし2派に分れ、一は
水沼村の方に注ぎ、一は
大栗山村の方に注ぐ。
外部リンク等
村名について
明治8年(1875年)、福沢入新田村・三更村が大栗山村に合併。
明治22年(1889年)、大志村・中川村・沼沢村・太郎布村・大栗山村・水沼村が合併し沼沢村が発足。
昭和30年(1955年)、沼沢村・川口村・本名村・横田村が合併して金山村が発足。
昭和33年(1958年)、金山村が町制施行して金山町となる。
最終更新:2025年10月05日 21:36