この村は萬治年中(1658年~1661年)より沼沢村の沼の水を引きて漸々に開発し、寛文年中(1661年~1673年)に建て1村とす。
府城の西に当り行程11里19町。
家数8軒、東西2町・南北20間。
南は山に倚り三方田畝なり。
東8町
沼沢村の界に至る。その村は南に当り19町。
西4町・南3町、共に
大栗山村の界に至る。その村は西に当り19町。
北5町
水沼村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り8町。
水利
堰
村より辰(東南東)の方にて沼沢沼の水を引き田地の用水とし2派に分れ、一は水沼村の方に注ぎ、一は大栗山村の方に注ぐ。
最終更新:2024年12月23日 21:43