府城の西に当り行程12里21町。
家数37軒、東西1町25間・南北2町、西は只見川に傍ひ三方田圃なり。
東13町
大栗山村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り19町。
西4町
板下村に界ひ只見川を限りとす。
南1町・北5町、共に
板下村の界に至る。その村は南に当り2町。
小名
荻付
本村の南5町にあり。
家数10軒、東西30間・南北50間、東は山に倚り三方田圃なり。
山川
只見川
村西2町にあり。
板下村の境内より来り、北に流るること23町
水沼村の界に入る。
関梁
橋
村南1町にあり。
隣村の通路なり(
板下村の条下に出す)。
神社
鹿島神社
村より未(南南西)の方3町にあり。
鳥居拝殿あり。板下村修験大壽院が司なり。
古蹟
柵跡
村中にあり。
東西35間・南北40間。
天正中(1573年~1593年)山内氏の支族宮崎右近某という者居るとぞ。
今は農民の居となれり。
外部リンク等
- Google Map
- 宮崎地区
- 荻付地区 - 大石組の地図を見ると板下の南側に位置している
- 只見川
- 橋? - 板下村へ行くため渓流に架けられた橋との事だが、そもそも渓流とはどこなのか…
- 鹿島神社
- 宮崎館跡
- その他
- 参照
古地図
※地理院地図(大正2年測図/昭和6年要部修正測図)
上田ダムができる前の地図。
現在の地図と比較すると、ダムによって只見川の水が溜まり村の北西にあった土地が川水に浸蝕されていることがわかります。
村名について
明治8年(1875)8月12日、宮崎村と板下村が合併して中川村となる。
明治22年(1889)4月1日町村制の施行により、大志村・中川村・沼沢村・太郎布村・大栗山村・水沼村が合併し沼沢村が発足。
昭和30年(1955)3月31日、川口村・本名村・横田村、沼沢村が合併し金山町が発足。
余談
- 東の山の中腹あたりに新しい道路ができ、今後も地区の様相が変わっていきそうです
- 現在の地図を見ると只見川の北側対岸にぽつんと鳥居のマークがあります。何か曰くでもあるのでしょうか?
最終更新:2025年08月27日 20:59