府城の西に当り行程12里22町。
家数24軒、東西50間・南北2町30間、東は山に倚り西は只見川に傍ひ南北田圃なり。
東1町・南35間・北1町、共に
宮崎村の界に至る。その村は北に当り2町。
西3里余
大石村の山界に至る。その村は南に当り9町30間。
山川
鉾峠
只見川
村西2町30間にあり。
大石村の境内より来り、10町北に流れ
宮崎村の界に入る。
関梁
橋
村北1町にあり。
隣村の通路、渓流に架す。
長5間、丸木橋なり。
神社
諏訪神社
村東にあり。
鳥居拝殿あり。
別当 大壽院
本山派の修験なり。
10世の祖を東泉院元春といいしより相続いて今の大壽院元譽に至るという。
寺院
瀧谷寺
村南にあり。
山號を中丸山という。曹洞宗なり。
何の頃にか宮崎右近某という者父の菩提のために創建すという。
文禄3年(1594年)源官という僧再興し
会津郡南青木組天寧村天寧寺11世監室を請て開山とし、これよりその末山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。
参考
外部リンク等
村名について
明治8年(1875)8月12日、宮崎村と板下村が合併して中川村となる。
明治22年(1889)4月1日町村制の施行により、大志村・中川村・沼沢村・太郎布村・大栗山村・水沼村が合併し沼沢村が発足。
昭和30年(1955)3月31日、川口村・本名村・横田村、沼沢村が合併し金山町が発足。
最終更新:2025年08月27日 20:41