河沼郡代田組郡山村

陸奥国 河沼郡 代田組 郡山(こほりやま)
大日本地誌大系第33巻 84コマ目

この村昔は内条郡山・中条郡山・南郡山とて3ヶ村なり。
慶安2年(1649年)合て1村とす。

府城の北に当り行程1里20町。
家数34軒、東西1町30間・南北2町50間。
また50間余西に1区あり。家数13軒、東西15間・南北2町。
また10町余戌亥(北西)の方に家数3軒あり。東西町15間・南北45間。
共に四方田圃(たんぼ)なり。

東2町45間新屋敷新田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り4町30間余。
西4町30間高畠村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り10町50間余。
南38間会津郡高久組木流村の界に至る。その村は未(南南西)に当り7町50間余。
北8町15間熊野堂村の界に至る。その村まで12町10間余。
また
亥(北北西)の方9町15間京手村の界に至る。その村まで9町40間。
寅(東北東)の方10町横堀新田村の界に至る。その村まで11町20間余。

水利

高畠堰

木流村の方より来り、田地の養水となり下流高畠村の田地を潤す。

寺院

長榮寺

村中にあり。
空野山と號す。
真言宗府下大町弥勒寺の末山なり。
寛永元年(1624年)覚院という僧造立す。後堂舎頽廃し住持の僧なかりしが、明暦2年(1656年)宥慶という僧来り住し再興す。
客殿に本尊正観音を安ず。


最終更新:2020年05月02日 08:19