河沼郡笈川組竹内村

陸奥国 河沼郡 笈川組 竹内(たけのうち)
大日本地誌大系第33巻 101コマ目

府城の西北に当り行程1里21町余。
家数10軒(この中の1軒は森台村に住す)、東西27間・南北52間。
米沢街道に住す。

北は森台村に続き南は会津郡高久組中森台村に続き1村の如し。
東西は田圃(たんぼ)なり。

東5町56間会津郡高久組東森台村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り8町50間余。
西は村際にて中森台村に界ひ堰堀を限りとす。

この村もと今の地の東北にあり。元和中(1615年~1624年)ここに移すという。



余談:河沼郡と会津郡の境界について。
竹内村・森台村と中森台村の間が河沼郡会津郡の境界となっているようです。それがどのあたりかといえば「堰堀を限りとす」との事なので水路が関係するようです。この辺りには2つの水路があります。1つは清水堰でもう1つは吉田堰です。風土記の記述によれば清水堰は界沢村から笠目村の方に流れ、吉田関は下高野村から森台村の方に流れているそうです。
Google地図で森台を見てみると、西側の水路に沿い清松寺の傍を通り東へとジグザグに境界線が走っているのが判ります。下高野の方から流れる水路なので吉田堰でしょう。おそらくこれが河沼郡と会津郡を分けていた境界かと思われます。ちなみに住所もこの境界線の北側は湯川町で南側は高野町と別れています。


参考:地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)
毛が生えた線のようなものは水路と土圍(土手)。
最終更新:2020年05月05日 12:41
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